大日本帝國聯邦
紀元前660年2月11日 -
大日本帝国連邦
国家元首裕仁(第124代天皇)
首都東京
連邦公用語日本語、朝鮮語、タガログ語、マレー語、インドネシア語
国歌君が代
音声ファイルへのリンク
通貨円(帝國中央銀行券)
国内総生産
(GDP)
1.36兆円
時間帯UTC+9(中央標準時)、UTC+10(東部標準時)
UTC+8(西部標準時)、UTC+6(茶越諸島標準時)
UTC-9(阿拉斯加標準時)、UTC-10(北洋標準時)
人口大日本帝国 9566万6000人
大韓帝国 2967万4000人
フィリピン帝国 2014万人
ブルネイ王国 144万人
インドネシア帝国 8053万8000人
計 2億2745万8000人
国の標語養正之心弘、積慶重暉、掩八紘㆒而為宇(前660〜)
開国進取(1868〜1945)
以独大君為守護於東亜
六合兼都、八紘一宇(1945〜)

 
(国旗)             (国章)
 
大日本帝国連邦(英:The Federated Empire of Japan)は、極東に位置する立憲君主・同君連合制連邦国家である。連邦首都及び最大都市は東京市。天皇(現在は第124代裕仁)を国家元首とする5つの立憲君主国より成る。太平洋の制海権を握り、その領土を海に沿って展開する海洋国家であり、また世界の貿易の中心地でもある。

歴史

大日本帝国前史

神話によれば紀元前660年に初代天皇である神武天皇が即位したことにより王朝が開かれた、世界最古かつ最長の王朝を有する国家である。初代天皇である神武天皇は日本列島を創造した伊弉諾と伊弉冉という神の7代子孫であるとされ、これが天皇が日本を統治する根拠となっている。古代の天皇は「大王」「大君」(読みは同じく「オオキミ」)と呼ばれ、古墳の年代解析などから近畿地方を中心に北は南東北、南は鹿児島まで支配していたと研究されている。明確な歴史書への記述が見られるのは第21代天皇の雄略天皇で、歴史的に十分な根拠が存在するのはこの5世紀前半からのことである。天皇の血統である「万世一系」の皇統の存在が確実視されているのは、第25代の継体天皇からである。古代の日本はシャーマニズム的な神権政治によってその領土を治めていたとされる。5世紀後半には仏教と儒教が中国大陸から伝来し、日本の土着信仰である神道と融合して神仏習合という日本独自の信仰形態を生み出した。この神仏習合はのちに天道思想として更に統合されるが、明治維新の折の廃仏毀釈によって後退を見せた。10世紀の終わりごろ、日本の実質的な主権は天皇(朝廷)から軍事政権(幕府、英:Shogunate)に移行する。武士の最高権威である征夷大将軍の略称「将軍」が統治するこの体制は戦国時代の混乱を挟んで3つの将軍家の世襲によって続き、明治維新によって終わりを迎えた。
中近世の天皇は、「天子様」と呼ばれそれ自身が神と扱われるようになったが、持つものは権威だけで実権はなく、実権は「公方様」即ち将軍が握っていた。天皇は将軍でさえも顔を見ることがかなわぬほど神格化されていた。15世紀から16世紀にかけて、足利幕府が斃れ武家の群雄割拠する戦国時代に突入する。同時期、欧州も大航海時代に突入し、日本にもスペインやエイルシュタット、オランダなどの貿易船が寄港するようになった。この潮流に乗って、日本人商人たちは次々と東南アジアや南太平洋に進出し、各地で日本町と呼ばれる租界を形成した。代表的なものは阮朝越南のホイアンや、シャム王国?のプノンペン、比律賓のマニラに設けられたものである。このうちマニラには、移住したキリシタン大名・高山右近によって馬尼剌城という日本式の城すら建てられている。また、ここを航行するための拠点として、パラオ諸島やマリアナ諸島にも日本町が築かれた。日本町には日本式の神社が建立され、天照大神などを祀るとともに現地の神もともに祀った。このように、全ての神を同列に扱う多神教が土着信仰であった日本は、もとが単一民族の国家であるにもかかわらず比較的異民族を受け入れやすい土壌にあった。このような日本町は、後年になって近代国家日本が成立し、その領土を主張するにあたって重要なものとなっていく。

大日本帝国

現在の近代的国家たる「大日本帝国」が成立したのは1867年の大政奉還とその後に続く戊辰戦争によってであり、1889年の大日本帝国憲法の発布により近代国家としての体裁をなした。1893年にはアメリカ合衆国に併合されようとしていたハワイ王国を巧みな外交交渉と軍事的圧力により保護し、現在の太平洋上におけるハワイ海上帝国繁栄の礎を築いた。1894年には隣国大清国と朝鮮半島を巡って対立し、日清戦争の結果勝利を収めた。この戦争と下関講和条約により、台湾、澎湖諸島、そして外地として遼東半島を得た。
その後は清への圧力をさらに強め、1905年には日清協約によって南満州鉄道の経営権、企業の優遇権、一部炭鉱の経営権を得た。1910年には開国時に結ばされた不平等条約全ての撤廃に成功し、名実ともに「世界の一等国」として世界にその名を轟かせた。同時に隣国、大韓帝国を併合し、領土とした。この併合は国内でも反対意見が根強かったものの、反対派の伊藤博文が朝鮮で暗殺されたことから国内世論は併合に傾いた。この頃から日鮮同祖論が学会の主流を占め、日本人と朝鮮人は言語が違うだけの同一の民族であるとされた。
1911年、中国で発生した辛亥革命により大清帝国と革命軍が内戦状態に陥った時、日本は清を保護し、満州地域へ安全に撤退する援護を行うとともに革命軍の殲滅に協力した。この結果革命軍は壊滅状態に陥り、その占領地域には日本が傀儡国として中華民国国民政府を立てた。1921年には世界第3位の海軍力を有する国としてジュネーブ海軍軍縮会議に参加。1931年にもロンドン海軍軍縮会議に参加するなど国際協調路線を歩んでいる。この頃から日本国内には過激派の極右・極左思想が蔓延し、1923年に摂政宮裕仁親王(今上天皇)がアナーキストの難波大助により狙撃された虎ノ門事件や、1936年2月26日に陸軍第1師団、野戦重砲兵第4旅団などの一部が帝都を占領したクーデター未遂二・二六事件などが起こっている。後者に対して今上天皇は激怒され、「朕自ら近衛を率いて之が鎮定に当たらん」と仰ったとされる。
1930年代後半、支那大陸の奥地に「中華ソビエト共和国」と名乗る組織が現れた。彼らは内蒙古や甘粛省などの実効支配を始め、やがて支那大陸全土の支配権を主張するようになった。これを当時日本の保護国であった中華民国に対する実質的な宣戦布告と見做した帝国政府は、1940年3月中華ソビエト共和国並びにこれを支援していると思われたモンゴリア・トゥルク社会主義共和国に対し宣戦布告。ここに中華内乱が勃発した。帝国陸軍及び中華民国陸軍は同盟軍の助けを得て順調に進軍。程なくして敵を降伏に追い込んだ。これによりモンゴル・トゥヴァ・アルタイ・ハカス等の諸地域と内蒙古は日本の勢力圏となった。また、この戦争に軍事面で多大なる貢献をした中華民国では独立志向が高揚。中華民国を信頼するに足る同盟国たり得ると判断した帝国政府は中華民国の保護国指定を解除、大東亜共栄圏での立場も準加盟国(オブザーバー)から正式な加盟国へと昇格した。また、時をほぼ同じくしてペルシア連邦民主共和国で内戦が発生。帝国政府は居留民保護を理由にドイツ帝国とともにペルシア領東インドへの進駐を決定した。ペルシアで成立した新政府は諸外国の強い影響力を受けていたこともあり東インド地域の割譲を承認し、ここに大日本帝国領東インドが誕生した。
1940年7月、カルマル連合を中心としたコミンテルン陣営が誕生した。共産主義と世界革命を掲げるこの陣営は、日本にとって重大な脅威であるとして帝国政府は大東亜共栄圏を発展解消させた新陣営、自由主義連合?を結成して対抗することを秘密裏に決定した。密かに招待された、資本主義・反共であり民主主義である国家群により結成されたこの秘密同盟は、相互安全保障と経済援助を定めていた。しかし、この陣営の情報が#だいたい中ア連のせいコミンテルンのスパイにより流出したことにより事態は急変する。コミンテルンは自衛戦争を掲げ自由主義連合に宣戦布告したのである。この戦争は、当時自由主義連合の構成国であったノヴゴロド公国カルマル連合と不可侵を締結していたことによりカルマル連合が参戦できなかったこともあり、自由主義連合優位に運んだ。1944年10月にはオスマン民国が降伏。これにより大中央帝政連合も降伏し、正式に世界大戦が集結した。戦後の講和会議で大日本帝国は多額の賠償金と、委任統治領カテゴリーA(当分の間保護管理下に置き、然るのち完全独立させる)として旧ドイツ領コンゴを割譲された。またこの戦争により日本は国際的な影響力を大幅に増加させることができた。

大日本帝国連邦

中華内乱での貢献が認められ、完全独立を果たした支那を見て帝国領の外地でも活発な独立運動が行われるようになった。特に帝国成立後に併合された朝鮮と東インドではそれが顕著であった。これらの状況を鑑み、1945年1月に発表された天皇陛下の年始のお言葉にあたって各外地地域の独立承認を陛下直々に行われ、同年4月には連邦制に移行した。連邦制移行後は大日本帝国、大韓帝国、フィリピン帝国、インドネシア帝国そしてブルネイ王国の5ヶ国より成ることとなった。しかしそれでもなお、連邦内の中心国が日本であることに変わりはなく、各構成国の過激派団体などは完全独立を主張している。
フランス内戦と、それに対するドイツ?イタリアの介入で西欧が荒廃し、更にそれまで欧州商業圏の中心国であったノヴゴロド公国の内戦やノヴゴロド公国を挟んだユーラシア連邦ロシア民主共和国連邦の間で起こった第二次大北方戦争に伴う混乱が起こったことから、欧州諸国の貿易額は大きく減少した。代わって市場を引き受けたのがアジアである。世界的に見ればまだまだ新興国であった日本や中華民国、大清国の、人口10億に迫る巨大市場に目を付けた世界の企業はこぞってアジアとの貿易を行った。また、欧州で続発する戦争に伴う軍需の伸びによって日本は第一次世界大戦以来の大戦特需となった。結果、日本の重化学工業は大きな発展を見せ、繊維工業主体であった日本の工業は一気に第二次産業主体の重工業国家となったのである。管理通貨制度に移行しつつあった世界の通貨も日本の円(1円=金375mg)を中心とするという軽井沢協定に基づいた軽井沢体制となり、日本は世界経済の中心として着実に発展している。
…かに思われたが、1971年に発生した三国干渉に伴う遼東半島の喪失、原油輸入の一時途絶によって日本を深刻な不景気が襲った。これによって日本は国際的な求心力を大きく低下させ、円相場や平均株価も大暴落した。日本が東亜の覇権を握り続けられるかは、まだだれにもわからない。

地理

構成国



大日本帝国連邦の構成国は以下の通りである。
  • 大日本帝国(図中桃)
  • 大韓帝国(図中青)
  • フィリピン帝国?(図中緑)
  • ブルネイ王国?(図中黄)
  • インドネシア帝国?(図中紫)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和26年に発行された国定教科書「小學地理 巻一」に掲載されている地図。

地形

総じて海洋国家であり、また島嶼の中でも急峻な地形が多い。とくに日本本土はその国土の七割を山岳が占めていることで知られている。平野部は狭隘であり、大規模な農業は広大な平野の広がる北海道などでしか行えない。その北海道にしても寒冷なことから育つ作物は限られている。こうした事情から、日本の主要穀物である米はいざ知らず家畜用の麦や大豆、高粱などは単一国中華民国からの輸入が大半を占めている。
山岳の中の最高峰は台湾の新高山で、その標高は3,952mである。2番目の高さを誇るのは同じく台湾の次高山で、標高3,886m。3番目は「印尼富士」と呼ばれる活火山、スマトラ島に位置するクリンチ山で、標高は3,805mである。その次が、日本本土に位置する標高3,776mの霊峰・富士である。このように、かつて日本最高峰と認識されていた富士山は領土の拡張に伴って4位にまで順位を落とした。

交通網

鉄道路線は運輸省鉄道局の所管する日本国有鉄道?(国鉄)が線路を保有・運行する狭軌(1067mm)線と、国策企業南満州鉄道が線路を保有・運行する標準軌(1435mm)線、大韓帝国鉄道省の所管する朝鮮総督府鉄道?が線路を保有・運行(一部は満鉄による運行)する標準軌線に大きく分けられる。国鉄線は樺太から台湾までの本土とフィリピン、ブルネイ、インドネシアの海洋構成国群、そして帝国海外領土の昭南島内の鉄道であり、南満州鉄道線は満州(単一国領内)の主要幹線と本土の高速鉄道(「新幹線」)である。国鉄・大東亜鉄道の運航する鉄道連絡船には青函・宇高・仁堀・稚泊・鹿台の内地5航路と関釜・台宋・宋汶・汶昭・昭印の外地5航路、そして長崎〜上海、海州〜威海衛、大連〜煙台、敦賀・新潟・境港〜海参崴、ブルネイ・ダルサラーム〜シアヌークビルの国際線航路がある。他にも日本郵船の運航する横浜・神戸からシアトル・バンクーバー・ラバウル等への国際貨客船航路や商船三井の運航する国内旅客船航路などもある。高速道路の整備は世界的に見ても立ち遅れている方ではあるが、戦車の通行にも対応した高規格道路は運輸省道路管理局の所管する日本道路公団?の指揮により建設が進められ、東海道・中山道・奥州街道・甲州街道の五街道に対応する高速線が既に開業している。航空路線は東京(羽田)〜千歳、東京(羽田)〜京城など鉄道では時間のかかる渡洋路線が主であるが、国内の近距離輸送にも徐々にではあるが進出しつつある。

政府

憲法

大日本帝国連邦憲法」が存在する、憲政国家である。1889年に当時の大中央帝政連合の憲法を模範にして「大日本帝国憲法」が制定され、以後「不磨の大典」として1945年まで改正されることなく運用され続けてきたが、前年に終結した世界大戦で数々の不備(統帥権の独立、内閣の存在の不明記等々)や「保守左派」を掲げた自由党の躍進、そして何よりも同年の連邦制移行により俄かに改正の必要が生じたため遂に改正されるはこびとなった。1945年4月、喫緊の課題であった連邦制を明記し「大日本帝国連邦憲法」と改名した第一次改正案が国会を通過。同日公布され、同年10月に施行された。また、露呈した数々の問題を修正した第二次改正案が1946年11月の明治節に国会を通過。翌年5月に施行された。

行政

憲法第2条第2項「内閣ハ大政ヲ輔弼シ天皇ノ行政的責任ハ總テ内閣ニ歸屬ス」という規定により、内閣総理大臣を長とする内閣が行政権を持つ。内閣総理大臣(首相)は「原則衆議院の与党第一党党首が任命されるが、直前の内閣が不祥事によって倒れた場合は野党第一党の党首が任命される」という一般に「憲政の常道」と呼ばれる慣習法で任命される。任命は天皇が行うもので、このため首相に任命されることは「大命降下」と呼ばれる。首相の下には最大15人の国務大臣が置かれ、これによって内閣を構成する。国務大臣には原則、一人につき一つの省が割り当てられてその行政権限を行使する。

行政組織の一覧

立法

連邦最高の立法機関として帝国議会が存在する。憲法上は「天皇ハ帝國議會ノ協贊ヲ以テ立法權ヲ行使ス」とされるが、事実上の立法権を持っていると解釈される。上院である貴族院と、下院である衆議院によって構成される二院制である。貴族院に定員はなく、華族に列せられる人物が増えるたびに貴族院議員も増える。貴族院議員は「勅選」または「互選」によって選出され、一般の国民に選挙権はない。一方衆議院議員選挙は満25歳以上の国民によって選出される普通選挙である。このような背景から衆議院には先議権があり、衆議院で可決された法案が貴族院で否決されても、衆議院で再度可決すれば成立となる。衆議院は全連邦を1ブロックと見做す拘束名簿式比例代表制で議員を選出し、その定数は475議席である。後述するが二等立法機関として参議院が構成国ごと(5つ)存在しているので実質的な三院制という見方もできる。参議院で可決された法律が地方法と呼ばれるのに対し、帝国議会で可決された法案は国法と呼ばれる。国法を公布することは天皇の国務であると定められている。

司法

統治三権のうち唯一、天皇に司法権はない。ただし裁判所は「天皇ノ名ニ於テ」裁判を行うとされている。三審制で、最も高位の裁判所は大審院と呼ばれる。これは各構成国に1つずつ置かれる。次に高位なのは高等裁判所で、これは各国の一級行政単位に1つずつ置かれる。最後に地方裁判所や簡易裁判所、家庭裁判所などがあり、これは「各県に最低1か所」とされている。ただし、その領域が広大であるものは大都市まで不便であることが多く、実際は何か所か置かれることが多い。司法権は明治期から「大津事件」(ロシア皇太子ニコライを大津市の巡査が殺害した事件)に代表されるように独立を保っている。

地方自治

構成国は前述の通り日本、朝鮮、比律賓、汶萊、印度尼西亜の5か国で、構成国ごとに二等立法機関である参議院が存在する。参議院の議員定数は各国の人口に比例して設定されるので逐次変動するが、日本の参議院の定数を基準として定めるため日本の参議院の定数は絶対に変わらないものとされ、242人である。参議院には帝国議会において成立した法律の範囲内での立法権が認められており、これにより成立した法律は国法に対して地方法と呼ばれる。地方法は、その構成国内でのみ通用する。但し参議院が国法を発議することはできる。構成国の下には道、府、州、総督府のいずれかの一級行政単位が置かれている。また戦時の動員を行う為郷土防衛隊や在郷軍人会が置かれており、戦時には応召の手助けをする。二級行政単位は県である。かつては令制の流れを汲んで国と呼ばれていたが、連邦化により「国の中に国があるのでは紛らわしい」との指摘から県に改称された。三級行政単位は市または郡である。この下には四級行政単位の区・町・村・邑・面・街・庄が置かれるお前ら地域ごとに行政区画の名前変えるなややこしい。更に下には字(あざ)が置かれるが、これは行政上の意味をもたない。これら行政単位には法的拘束力を持たない条例の制定が認められている。

外交

一文字略称は「華」または「支」。独立保障を行い、遣支軍を駐屯させている。武器の輸出や工業進出を行い、友好な関係である。また貿易も盛んであり、昭和29年度の貿易額は輸出・輸入ともに中華民国が一位である。主な輸出品目としては自動車、工作機械、航空機、魚介類、鉄鋼をはじめとする金属製品があり、輸入品目には石油、石炭、鉄鉱石などの各種天然資源と衣類をはじめとする繊維製品、そして米穀や小麦などの農作物がある。主な交易ルートは長崎港・佐世保港から上海・杭州・厦門などに至る東シナ海ルートや、関釜連絡船を介して単一国領内の奉天を通過する鉄道輸送ルートがある。中華民国は日本円を基軸通貨として採用しており、その通貨レートは固定で1:1となっている。
一文字略称は「清」または「満」。日清戦争の講和条約である下関条約(1895年調印)を改訂した日清協約という利権協定と、その代わりの片務的独立保障を定めた条約がある。これに基づき日本は国策企業である南満州鉄道を介して鉄道、炭鉱、ホテル、デパート等の経営を行い、経済に大きな影響力を有している。またこの他にも昭和製鋼所、満州飛行機、三菱重工業など多くの企業が内満州に進出しており、単一国のGDPのうち実に8割が内満州に集中し、そのうち4割が日本企業に関連している。単一国からの輸入は天然資源と高粱に代表される雑穀が主で、輸出は機械製品などが中心であり、日清間の貿易は日本に貿易黒字である。交易ルートは朝鮮を通過する鉄道輸送と、浦塩・大連を窓口とする船舶輸送の2系統がある。単一国の通貨は銀本位制の銀元であり、変動相場制を採用する為替レートは多少の変動はあるが概ね1円=1.2元で推移している。
一文字略称は「露」。日露間に単一国や蒙古国の利権をめぐる軋轢はあるものの、概ね友好な関係である。武器の取引も両国軍間で活発であり、小銃や機関銃などの小火器から空母などの大型艦まで様々なものが取引されている。ロシアからの輸入品は農作物や天然資源が主であり、日本は自動車などを大量に輸出しているため大幅な貿易黒字となっている。ロシアには北極海に面する大きな港がないため、交易は鉄道中心となり、満鉄(連京線、京浜線、浜洲線)とシベリア鉄道を経由するルートが主に取られる。この貨物通貨収入も無視できない額が入っている。ロシアの通貨はロシア・ルーブルで、ユーラシア連邦との戦争による国土の荒廃で大幅な下落を見せたため現在は1円=15〜17ルーブル程度で取引されている。
一文字略称は「矗」。かつては日本の貿易相手国としては最大の貿易輸出入量を誇ったノヴゴロドであるが、内戦の影響によってその交易は衰退した。現在は日本によるインフラ復興支援、技術支援や食糧支援などのほぼボランティアに近いような交易が大半を占めており、通常の経済活動としての貿易は極めて限られる。ノヴゴロドとの交易ルートとしてはなんといっても北極海航路が挙げられるだろう。これは北海道の釧路港や樺太の豊原港から千島列島を通過し、ベーリング海峡を経てアルハンゲリスクやムルマンスクなどの貿易港に至るルートであり、専門の砕氷船を使用して通航が行われるものである。このルートは1910年代に踏破に成功し、1930年代にはアジアと北欧・東欧を結ぶ交易ルートとして繁栄を始めた。現在も日本からノヴゴロドまで重量物を最短で運ぶためのルートとして重宝されている。ノヴゴロドの通貨はノヴゴロド・ルーブルで、内戦の影響でインフレに陥ったため1円=130矗ルーブル程度で取引されている。

軍事

陸軍

各構成国ごとに陸軍が存在し、それを統括する参謀本部が東京に置かれている。
(詳細は大日本帝国連邦陸軍を参照)
部隊は以下を参照のこと。

海軍

海軍は一括して日本が運用し、各国に日本が海軍力を分派する形を取っている。これは陸軍運用と違い海軍運用や艦艇建造にはかなり高度なノウハウが要求されることや、各構成国ごとに地政学的理由から求められる海軍力が異なることから生じる不平等を避けるためである。
(詳細は大日本帝国連邦海軍を参照)

外部リンク

管理者:グロタンディーク(https://mobile.twitter.com/grothendieck__

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