テュルク=ペルシア二重連邦は、テュルク連邦とペルシア連邦が軍事・財政・外交などを共にする体制をとる連合国家である。主に「二重連邦」と称される。
連合首都タブリーズ(Tabriz)
国家元首連合評議会代表 ボボジャン=ガフール(1968年〜)
国家方針中道左派/修正資本主義(ケインズ経済学)・全方位中立志向
総人口約1億6500万(1969年,概算値)
工業力大規模(1969年)
↓テュルク=ペルシア二重連邦の国旗(1948年x月xx日以降)


概要・略歴

中央アジア連邦(テュルク連邦?の前身)の歴史

1905年以降、日露戦争でのロシア帝国の敗北を機に、西トルキスタン地方と東トルキスタン地方で別個に起きた民族自決の理念に基づく革命運動が発生した。
両者は合流し、東西トルキスタンの統一を目指して革命を成し遂げ、1921年2月、ついに独立を果たした。
建国当初は平和主義を掲げ、民族の平和と世界平和の両立を模索していたが、1930年代になってトルコ・ペルシアの両地域において社会主義政権が成立したのを受けて方針を転換し、建国時の民族主義的革命を社会主義革命だと捉え直す形でイデオロギーをすり替えると言う荒技を成し遂げた。
これは民族主義的革命の指導者の後継者であり社会主義時代の中ア連の初代書記長でもあるアブドゥラウフ・フィトラトが過去に他国で社会主義政権下での国家運営を経験した時の知識などを生かしたものであり、この革新的な転換は中ア連の柔軟な内政運営を象徴するものであると解釈できよう。
1930年代中頃、トルコ・ペルシアとの間でバクー条約機構を立ち上げた。

1939年秋、国際情勢の複雑化などによる中ア連への大戦の影響を少しでも軽減するべく(中の人の低浮上化によるものだが)、社会主義体制を緩やかに廃止して中道民主資本主義国に戻そうという計画が承認された。「中ア連ボーナスチェスト化計画」と称し、すべての国に開かれた資源地帯をなすことを目標とするようだ。

1940年2月末、この計画は実行にうつされ、また労働者中央委員会において国家方針の変更が正式に決定された。これを機に我が国は「世界の資源庫」として歩み出すこととなる。
また同時に労働者中央委員会の解散が決まり、中ア連連邦議会が復活した。上下院から成り、定員は約260人である。
この前後で次期の大統領が選出された。あらゆる方法を用いて全ての階層から支持を取り付けて圧勝したその男の名はフォスフォル=フィストィグィと言う。彼は外交方針の大胆な転換を行うが、この性急な改革がのちに中ア連の首を締めることとなるのであった。

1940年3月末、大日本帝国とともに中華ソビエト共和国に宣戦を布告した。この時期から中ア連は日本への接近をさらに強めていくこととなる。
この戦争によって我が国は寧夏回族自治区の保護権を獲得した。

1940年の中ごろ、ペルシア内戦を端緒とする周辺諸国のペルシア分割が発生。中ア連政府は当初これを静観し・中立の立場をとっていたが、安全保障に関する懸念になりかねないとしてイラン方面・アフガン方面に派兵。
一時イラン北東部とアフガニスタン北半を実効支配したが、対面するインド共和国に敵対心がないことを知り撤退、最終的にイラン・アフガンのトルクメン人居住地のみを併合し、その他の地域を全てインド共和国に割譲した。割譲した領土にはタジキスタン東部のバダフシャン地方も含まれている。
その後、残りのタジク四郡を「タジク共和国」として中ア連に再編入したが、政府はこれを中ア連とは別個の国として扱う方針を打ち立て、議会でも可決された。対外的には「タジク共和国」は中ア連の一部である、としている。現世における中国と台湾との関係にも似ている。

その後1940年10月ごろに種々の協議を行い、カイバル峠とカシミール地方を囲む4カ国の包括的同盟、カイバル同盟が成立した。これを以てペルシア内戦に端を発したペルシア問題はひとまず収集がついたと言えるだろう。

そして1940年12月、我が国の情報統制部門が大戦犯行為を働くこととなった。事もあろうに我が国の外務省がオスマン民主国に対して機密情報を開示してしまったのである。オスマン民主国は抗議のためにこれを全国際社会に公開。連合諸国の安全保障を脅かすのみならず、他の仮想敵国に対しても拭いきれない禍根を残すこととなった。国内では当然不満も広がったが、民衆の間ではまだオスマン民主共和国内のトルコ人に対する同胞意識も根強く、大統領は支持率低下を免れた。つくづく幸運な男である。

1941年に始まった第一次世界大戦?には、自由主義連合?の一員として参戦。正規軍を大きく動かすことこそなかったものの、西アジア地域で抑圧されている諸民族の解放を手伝い、オスマン民主共和国と敵対した。
1944年、第一次世界大戦?が終結すると、かねてから計画されていたペルシアとの連合が推し進められ、トルキスタン=ペルシア二重連邦が成立した。中ア連もその構成国家となった。
(ここより前は正史通り)
18世紀中ごろより、ゼンド朝がペルシャを治め周辺のデュラニ朝アフガニスタンやバルチスタンを征服し、
またアラビア海のポルトガル勢力を撃退し海上帝国化を推し進めた。
この際にインドの3港とタミル・セイロンを獲得した。
この勢力は18世紀末にカジャール朝に置き換わっても衰えることなく、1812〜1816には東インドも手中に納めた。
このころには国内の工業化も推し進め始めた。
また、    との戦争で大ロン・ロシアと協力し、中国地域にも2つの港や鉄道利権を獲得することが出来た。
東アフリカ植民地を獲得したのもこの頃だ。
さらに外洋に進出、マリアナ諸島など太平洋上にも進出した。
その勢力の大きさより、西アジアにおいてオスマンと双璧を成す存在とまでなりました。
しかし、ロシアの圧力が増してくると、ロシアによりペルシャは北方の領土を喪失した。
ただ、 年のロシア革命によりロシアは弱体化、ロシア帝国に反旗をあげた中央アジア連邦とともにロシア帝国の勢力を撃退、北部アフガンと南タジクをロシア帝国より返上した。
しかしその後、ロシア革命と連鎖する形で、敗走したボリシェヴィキとともにペルシア共産党によりペルシャ南部やアフガン地域よりペルシャ革命が勃発、
1919年にペルシア連邦民主人民共和国が発足した。
また中央アジア連邦建国時には、後方より中央アジアを支援し、代わりに南タジクを獲得した。
同じイデオロギーながらアゼルバイジャン問題で対立していたオスマン社会主義人民共和国とは、
アゼルバイジャン独立を互いが承認することで関係回復を図った。

1940年の春、共産主義体制からの転換を求め、自由主義者や帝政主義者など多数の勢力が蜂起し、ペルシア内戦が起こった。
この内戦によって多数の国家から干渉を受け、内戦終結後には領土が大きく減少し、海外領の一部も失った。
内戦後は主に中央アジア連邦インド共和国の支援によって復興が進められている。
なお、内戦終結後に国名が変更され、「ペルシア連邦民主共和国」となった。
1944年、第一次世界大戦?が終結すると、かねてから計画されていた中ア連との連合が推し進められ、トルキスタン=ペルシア二重連邦が成立した。ペルシアもその構成国家となった。

トルキスタン=ペルシア二重連邦の歴史

1944年、第一次世界大戦?が終結すると、かねてから計画されていた中ア連とペルシアとの連合が推し進められ、トルキスタン=ペルシア二重連邦が成立した。
その後しばらくしてアゼルバイジャン共和国を併合した。またナゴルノ=カラバフ地域をアルメニアに返還した。
クルド人問題にも再びメスを入れ、クルド人が優勢な地域の全てを「クルド人の人権を蔑ろにしない」という条件付きでオスマン民主共和国に譲渡した。
また近年台頭してきたボリシェヴィキを最大の脅威と捉え、北部のインフラを一時的に破壊するなど不断に戦争の準備をしている。

テュルク=ペルシア二重連邦

1948年の一連の革命によってソヴィエト・ロシアが滅亡し、「ロシア・ツァーリ帝国」となった。
同時に、ソヴィエト・ロシアの影響下にあったアナトリア及びクルディスタンがトルキスタン=ペルシア二重連邦に譲渡された。
その後改称して「テュルク=ペルシア二重連邦」となった二重連邦は、「ロシア・ツァーリ帝国」と不可侵条約を締結し、バクー条約機構にも招待した。
同時期に共産主義体制をとり始めたフランスが仏領シリアから侵攻してくることを想定し、アナトリア南東部の防御を固める必要に迫られることとなる。
5月13日、ロシア・フランス・レーテ・二重連邦の四カ国でロストフ戦略会議?を立ち上げた。
同じタイミングでモンゴルとも正式に同盟した。
6月、外交関係の多角化を図りユーラシア連邦とも不可侵条約を締結した。ユ連がフォスフォス記念大橋の建設を始めるのもこの頃である。
8月、ユ連統治下のパレスチナでワッハーブ派住民2万人が強制移送される事件が起こった。
さらにしばらくしてアメリカ連邦の動きが活発になり始める。
9月、ペルシャ湾の石油を求めてアメリカ連邦が二重連邦・イラクに宣戦布告。(当該地域はイタリアによって実効支配されていた)
その後戦争は終結し、比較的平和な時代が訪れた。
(この間中の人が受験期にあったため情報が少なく、また世界の全体的な動きが停滞していた。)
1968年、タジク人のボボジャン=ガフールが連合評議会代表になった。
1969年、寧夏を中華民国に返還したことを確認した。

現在も安定した発展を見せているが、危機はまだ完全に去ったわけではない。

内政

政治体制について

初代連合評議会代表になったフォスフォルは将来の国家の安定を願い、二大政党制への誘導を進めるべく画策しているが、現状はほとんど一党独裁と言っても過言ではないだろう。体制が改まってからまだ年月が浅いので統治機構は成熟しておらず、敏腕たるフォスフォルのトップダウンに頼っていた。
現在は「統一共栄党」と、野党最大の「共和民進党」が主な政治勢力である。

連合評議会

二重連邦の内政最大の特徴はなんと言ってもこの連合評議会の存在である。連「邦」評議会ではなく連「合」評議会なので注意。
二重連邦を構成する二つの共和国連邦と保護国(チベット)から人口比に応じて複数の評議員が集っている。
定員はおよそ人口100万人につき1名程度になるように調整されたキリのいい数とされており、1948年時点では90名であった。1969年現在は165人となっている。
評議員になるためには各々の共和国連邦や保護国の議会もしくはこれに準ずる機関(チベットがこの例外である)などに勤めている必要がある。
また、連合評議会の代表は定期的に行われる代表選挙によって決定される。連合評議会代表の任期は1期4年であり、原則として連続の4選は無効化される。
歴代の連合評議会代表
No.在任期間名前出身地域
1.1944-56フストゥグィ=フォスフォルキルギス共和国
2.1956-68モハンマド=モサッデグイラン共和国
3.1968-ボボジャン=ガフール北アフガン=タジク共和国

二重連邦の政党(1948年時点での状況)

フォスフォルが所属し、後援を受けている政党は「統一共栄党」である。新体制樹立に大きく貢献した「共栄党」が体制の未成熟による混乱と未曾有の国難(主にイタリアの脅威)にあって国内の他の政治勢力のほとんどを吸収する形で結成された政党であった。

なお、二重連邦第二の政党は「共和民進党」である。連邦と銘打ちながらも中央集権化していく統一共栄党を掣肘せんとする勢力を擁する政党であり、統一共栄党を安心して縮小できる局面が到来した時に二大政党の片翼を担うであろう政党でもある。統一共栄党はその成立過程において共和民進党の掲げる指針にある程度近い考えを持つグループをも併呑しているため、完全な二大政党制に移行する際には両党の勢力は拮抗、ないし統一共栄党がやや強い程度で治るだろうと予想されている。

また、この二大政党の他にも多数の政治勢力が存在するが、二重連邦全体に影響力をもたらす政党はほとんどない。強いて言うならば、イスラム法に則った政治を望む「イスラム法治党」がやや強い勢力を持っている程度か。それでもイスラム教の戒律が厳格でない地域の方が多いため、二重連邦全体に影響力を持っているとは言い難い。しかし史実のイランのようになる可能性も捨てきれないため、彼らの意見を蔑ろにしすぎないように注意する必要があるだろう。

地理

トルキスタン=ペルシア二重連邦の版図は広大である。
概して東西トルキスタン及びアナトリア半島全域(テュルク連邦)・イラン高原及びアゼルバイジャン・クルディスタン(ペルシア連邦)に大別できる。
なお、アルメニア人、ジョージア人、パシュトゥーン人、バローチ人が優勢な地域は版図に含まれない。
寧夏は中華内戦以降二重連邦の領土とされていたが、1969年に正式に返還された。

行政区分

二重連邦は二つの共和国連邦(テュルク連邦、ペルシア連邦)および保護国から成る。
テュルク=ペルシア二重連邦
Tb.タブリーズ特別市タブリーズイラン、東アーザルバーイジャーン州
テュルク連邦
Al.アルマトイ特別市*1アルマトイアルマトイ(カザフスタン)
QZ.カザフ共和国シュムケントカザフスタン及び新疆の一部
KY.キルギス共和国ビシュケクキルギス
QP.カラカルパク共和国ヌクスカラカルパクスタン
ET.東トルキスタン共和国ウルムチ新疆ウイグル自治区(一部を除く)
OZ.ウズベク共和国タシケントウズベキスタン*2
TM.トルクメン共和国アシガバードトルクメニスタン及び
イラン・北アフガンの一部
OT.オスマン=トルコ共和国アンカラトルコ*3
ペルシア連邦
Mş.マシュハド特別市マシュハドマシュハド(イラン)
IR.イラン共和国テヘランイラン(シーア派ペルシア人地域)
AZ.アゼルバイジャン共和国バクーアゼルバイジャン及び
東西アゼルバイジャン州(イラン)
KY.クルディスタン共和国アルビルクルディスタン地域
TO.北アフガン=タジク共和国ドゥシャンベアフガニスタン北部
及びタジキスタン
保護国(共和国連邦とほぼ同等の権限を持つ)
TI.大チベット国ラサチベット高原全域*4

人口

1948年時点の推定総人口は約8700万人である。
この時点ではペルシア系言語の話者が約3750万人、テュルク(トルコ)系言語の話者が約4650万人、ロシア語など他の言語の話者が約300万人と推計されていた。

1969年時点の推定総人口は1億6500万人である。

言語・文化

連邦共通語はトルコ語(オスマントルコ語)及びペルシア語である。
しかし版図が広大であり地域によって差異があるため、構成国家や州ごとに公用語が制定されている。
公用語の一覧
連邦公用語
トルコ語(テュルク連邦)・ペルシア語(ペルシア連邦)
テュルク連邦?
---一等行政区地域公用語地域政令言語
Al.アルマトイ特別市カザフ語ロシア語及びテュルク系言語
QZ.カザフ共和国カザフ語ロシア語・ウイグル語
KY.キルギス共和国キルギス語カザフ語
QP.カラカルパク共和国カラカルパク語ウズベク語・カザフ語
UY.ウイグル共和国ウイグル語カザフ語・中国語
OZ.ウズベク共和国ウズベク語カザフ語・トルクメン語・ペルシア語
TM.トルクメン共和国トルクメン語ウズベク語・ペルシア語
OT.オスマン=トルコ共和国トルコ語ギリシャ語・アルメニア語など
ペルシア連邦?
Mş.マシュハド特別市ペルシア語アゼリー語及びペルシア系言語
IR.イラン共和国ペルシア語クルド語・アゼリー語・トルクメン語・アラビア語など
AZ.アゼルバイジャン共和国アゼリー語ペルシア語・トルクメン語・レズギ語など
KY.クルディスタン共和国クルド語ペルシア語・トルコ語・アラビア語
TO.北アフガン=タジク共和国ペルシア語ウズベク語・トルクメン語・ハザーラ語・パシュトー語など
保護国
TI.大チベット国チベット語モンゴル語・ゾンカ語

外交

【主に1948年前後の情報である。】
基本的には自由主義連合?に属するが、その立地ゆえに独自の外交政策をとる必要に迫られることが多々ある。

各国との対外関係

  • 中ア連が新体制に移行して以来良好な関係が続いている。技術提供もいただいており、将来のビジョンを共有する頼もしい国家である。
  • 直接の対話があったのは比較的最近のことであるが、「中央ユーラシア横断鉄道」の計画立案で協力して以来良好な関係が続いている。
モンゴル
  • 直接の対話があったのは1948年になってからのことであるが、良好な関係を築くことに成功しつつあるだろう。
ロシア・ツァーリ帝国
  • 我が国の版図の一部は彼の国の構想勢力圏に含まれるが、良好な関係を築くことに成功した。現在の我が国はロシアのストッパーとしての役割も期待されているのかもしれない。
  • 大日本帝国連邦と同様に比較的初期から良好な関係が続く。新兵器の実験を共同で行ったり同じ交易国として提携するなど軍需・民需の両方で強固に連携している。また、さらに深い関係を持っているのではないかと言う推論もあるが真偽の程は不明である。
イタリア連邦共和国
  • 右傾化以前は我が国の最大のパートナーであった。自由主義連合?にも加盟していた。
  • 右傾化が顕著になってからは我が国の最大の仮想敵国であり、強大な壁でもある。全ての周辺国の力を借りてなんとか突破したい。
  • 地理的に見ると東西と南から挟まれており、非常に厄介である。
  • 一応こっちに来るつもりはないらしいが…要警戒である。
  • 所属する陣営は異なるが、ロストフ戦略会議?に参加する仲間である。
  • 48年夏、黒海のクリミア半島南端とアナトリア半島を結ぶ「フォスフォル記念大橋」の建設が始まり、我が国も出資している。
  • 将来的にイスラム教徒の統治に関して意見の衝突が予想されるが、建設的な議論が可能だと思われるので大きな問題にはならないだろう。
  • と思っていた矢先にパレスチナにおけるワッハーブ派への弾圧問題が起き、不信感が高まってしまった。
  • 共産化以前は自由主義連合?の仲間であった。
  • 共産化以降は一時的に距離が離れたが、ロストフ戦略会議?を成立するにあたって素晴らしい働きをしてくれた。感謝。
  • 直接の対話がないため特にこれといった関係は築かれていない。今後に期待である。
新大陸諸国
この節の加筆が望まれています。

軍事

陸海の二軍が存在する。空軍はまだ計画段階である。

陸軍

非常事態宣言が出された後の総人口徴兵率は約4%(兵役経験者の動員も含む)。国土が広大な割に人口が少ないため機甲師団に比重を置く。
全体の六割は機甲師団である。三割が歩兵師団で、残りの一割は工兵や衛生兵、観測兵などから成る。
二重連邦全体で約348師団を動員可能である(総人口徴兵率4%の場合)。1師団は1万人でカウントしている。

海軍

小規模ながらインド洋沿岸に海軍力を持つ。また、カスピ海貿易路の防衛のためにカスピ海沿岸に艦隊を配備する計画案が存在する。

国内外の諸問題

  • カスピ海における防衛力の不足
    • テュルクにとって最も重要ともいえるカスピ海北東油田だが、これを守る海軍力は貧弱。現在は日本との技術提携を急いでいる。ロシア・ツァーリ帝国と友好的な関係を結べそうなのが救いである。
  • テュルク・ペルシア間の格差問題
    • テュルク主導で連合したのでペルシアの立場がやや低い。今後の経済発展に期待である。

外部リンク

管理者:ふぉらす(https://twitter.com/phosphorus2055T)

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