ペルシア連邦民主人民共和国(英語:Union of Persian Socialist Republic)とは、中東に位置する共産主義国家。
首都テヘラン
国家元首書記長 Soleyman Mirza Eskandari
国家方針共産主義(マルクス・レーニン主義)
総人口2,500万人(中核州人口1500万人)
工業力中規模

歴史

(ここより前は正史通り)
18世紀中ごろより、ゼンド朝がペルシャを治め周辺のデュラニ朝アフガニスタンやバルチスタンを征服し、
またアラビア海のポルトガル勢力を撃退し海上帝国化を推し進めた。
この際にインドの3港とタミル・セイロンを獲得した。
この勢力は18世紀末にカジャール朝に置き換わっても衰えることなく、1812〜1816には東インドも手中に納めた。
このころには国内の工業化も推し進め始めた。
また、    との戦争で大ロン・ロシアと協力し、中国地域にも2つの港や鉄道利権を獲得することが出来た。
東アフリカ植民地を獲得したのもこの頃だ。
さらに外洋に進出、マリアナ諸島など太平洋上にも進出した。
その勢力の大きさより、西アジアにおいてオスマンと双璧を成す存在とまでなりました。
しかし、ロシアの圧力が増してくると、ロシアによりペルシャは北方の領土を喪失した。
ただ、 年のロシア革命によりロシアは弱体化、ロシア帝国に反旗をあげた中央アジア連邦とともにロシア帝国の勢力を撃退、北部アフガンと南タジクをロシア帝国より返上した。
しかしその後、ロシア革命と連鎖する形で、敗走したボリシェビキとともにペルシア共産党によりペルシャ南部やアフガン地域よりペルシャ革命が勃発、
1919年にペルシア連邦民主人民共和国が発足した。
また中央アジア連邦建国時には、後方より中央アジアを支援し、代わりに南タジクを獲得した。
同じイデオロギーながらアゼルバイジャン問題で対立していたオスマン社会主義人民共和国とは、
アゼルバイジャン独立を互いが承認することで関係回復を図った。

1941年の春、共産主義体制からの転換を求め、自由主義者や帝政主義者など多数の勢力が蜂起し、ペルシア内戦が起こった。
この内戦によって多数の国家から干渉を受け、内戦終結後には領土が大きく減少し、海外領の一部も失った。
内戦後は主に中央アジア連邦インド共和国の支援によって復興が進められている。
なお、内戦終結後に国名が変更されたため、このページの記述はここで終了となる。

国内状況

1862年のペルシア連邦民主人民共和国発足時に、
東インドなど当初は植民地であった領土を法上において本土と同等に近い扱いに改めて本土32州×海外領土9州による州分けが行われた。
民族は本土は大多数がイラン人、アイマク、タジク人、アゼルバイジャン人などのイラン系民族が多くを占め、
その他アラブ人、パキスタン人、クルド人や、海外領土より中国人、インドネシア人、ミクロネシア系住民が居住している。
資源に関してはペルシア湾やカスピ海、東インドなどで採れる莫大な石油や、各種鉱床などでとても潤っている。
首都のテヘランや、貿易港のバンダレアッバース、中東有数の工業地域のコムや交通の要所のイスファハーンやヘラートなどを中心に工業化が進んでいる。

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