最終更新: grothendieck57 2021年09月26日(日) 14:04:09履歴
一八式中距離地対空誘導弾 | |
用途 | 野戦防空/艦隊防空 |
種別 | 中距離地/艦対空ミサイル |
開発者 | 東京帝国大学第二工学部糸川研究室 大阪陸軍造兵廠 |
製造国 | 🇯🇵大日本帝国 |
初飛行 | 1958年 |
製造期間 | 1959年 - 現在 |
運用期間 | 1960年 - 現在 |
諸元 | |
発射時重量 | 1,195kg |
全長 | 7.3m |
直径 | 0.42m |
エンジン | 宇宙研Κ-420固体燃料ロケットエンジン 推力:最大13.337kN |
実用最大射程 | 35km |
最高到達高度 | 50km |
誘導方式 | レーザー誘導(ビームライディング)方式(初期誘導) 赤外線誘導方式(最終誘導) |
一八式中距離地対空誘導弾とは、東京帝国大学第二工学部糸川研究室(のちの宇宙科学研究所)と大阪陸軍造兵廠が共同開発し、大日本帝国連邦陸軍の運用する中距離対空ミサイル。当初は陸軍が高射砲の代替として使用していたが、後に海軍も一八式中距離艦対空誘導弾として制式採用した。秘匿名称はソハ、観測用ロケットとしての名称はΚ(カッパ)-7。
1949年より始動した糸川英夫?主導の固体燃料ロケット開発は、ベビーロケットやアルファ計画などを経て大気観測を目的とするカッパ計画となった。Κ計画のロケットは秋田県の道川海岸に於いて発射実験が繰り返され、1957年飛行の2段式のΚ-6型ロケットを以て最高到達高度50kmに達した。大気観測の為最高到達高度200kmを目標とするΚ計画にとって、次なる目標は1段のみで高度50kmに到達し得る大出力の固体燃料エンジンと、それに搭載する2段目であった。こうして開発の始まった420型固体燃料ロケットエンジンは58年春に行われた燃焼試験に於いて推力136,000kgfを記録し、実用化の目途が立った。こうしてまず一段目のみの飛翔実験を行う為開発されたのが本誘導弾の母体であるΚ-7である。Κ-7は1958年9月に秋田県道川海岸より打ち上げられ、射角80度で高度50kmへの到達を確認した。この結果に対し、宇宙研に予算を提供していた帝国陸軍はこのロケットを改修し、地対空誘導弾として採用することを決定した。帝国陸軍は宇宙研に対してその技術を全面的に新型対空誘導弾の開発に供与することを指示するとともに、大阪陸軍造兵廠との共同開発を進めた。観測装置を搭載することを想定していた先端部には弾頭と誘導装置が搭載された。完成したミサイルはその原型の開発年に従って一八式と附番され、1959年の暮れに制式採用された。その後、1961年より海軍艦艇への配備も始まった。
ロケットエンジンには宇宙研の開発したΚ-420型エンジンをそのまま流用する。このエンジンは推力13.337kNを発揮し、14Gの加速度でロケットの最高速度秒速1290mに9.4秒で達する。誘導方式は基本的にビームライディング方式のレーザー誘導であり、目標機の熱源を探知した時点で赤外線誘導に移行する。対空電探が敵影を探知した時点でその情報をビーム発射装置に伝え、その管制情報をもとにミサイルが誘導される。弾頭は100kgの炸薬を持つ調整破片弾頭であり、遅延信管を装備してミサイルが赤外線誘導で熱源に突入した後に内部で爆発するように設計されている。これにより敵機を確実に撃墜する。ただし、チャフなどの効果を低減するため赤外線誘導に移行した後もビームの照射は続けられ、そこから特定の距離逸脱すると赤外線誘導が取り消される。
主に軍直轄の高射砲兵として運用される。発射用架台は大型トラックに連装で搭載され、これが4輌と3次元対空電探を搭載する観測車輌1輌、予備の誘導弾を積んだトラック2輌で1個中隊を構成する。ビーム発射装置は発射用架台に併設されており、観測車輌と有線接続することによって敵機の情報を転送する。現状、この観測情報を一元的に管理して射撃管制を行うような野戦防空は確立されておらず、中隊は独立して各個に脅威と判断した敵機に対し攻撃を行うことになっている。
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