1949年より始動した
糸川英夫?主導の固体燃料ロケット開発は、ベビーロケットやアルファ計画などを経て大気観測を目的とするカッパ計画となった。Κ計画のロケットは秋田県の道川海岸に於いて発射実験が繰り返され、1957年飛行の2段式のΚ-6型ロケットを以て最高到達高度50kmに達した。大気観測の為最高到達高度200kmを目標とするΚ計画にとって、次なる目標は1段のみで高度50kmに到達し得る大出力の固体燃料エンジンと、それに搭載する2段目であった。こうして開発の始まった420型固体燃料ロケットエンジンは58年春に行われた燃焼試験に於いて推力136,000kgfを記録し、実用化の目途が立った。こうしてまず一段目のみの飛翔実験を行う為開発されたのが本誘導弾の母体である
Κ-7である。Κ-7は1958年9月に秋田県道川海岸より打ち上げられ、射角80度で高度50kmへの到達を確認した。この結果に対し、宇宙研に予算を提供していた帝国陸軍はこのロケットを改修し、地対空誘導弾として採用することを決定した。帝国陸軍は宇宙研に対してその技術を全面的に新型対空誘導弾の開発に供与することを指示するとともに、大阪陸軍造兵廠との共同開発を進めた。観測装置を搭載することを想定していた先端部には弾頭と誘導装置が搭載された。完成したミサイルはその原型の開発年に従って一八式と附番され、1959年の暮れに制式採用された。その後、1961年より海軍艦艇への配備も始まった。