宇宙科学研究所
正式名称宇宙科学研究所
略称ISAS(アイサス)
所在地🇯🇵大日本帝国
東京府相模県相模原市字由野台
活動領域固体燃料ロケット開発
宇宙探査・開発
誘導ミサイル開発
設立年1946年(前身)
1964年(改組)
上位組織内閣官房
保有施設相模原キャンパス
道川海岸多目的試験場
内之浦宇宙空間観測所
代表糸川英夫

宇宙科学研究所(英:Institute of Space and Astronautical Science)とは、大日本帝国の宇宙開発機関。航空宇宙技術研究所が主に液体燃料ロケットの開発を行うのに対し、固体燃料ロケット開発を行う。前身は東京帝国大学第二工学部糸川研究室。略称はISAS宇宙研。その主要な研究施設を相模原市の相模原キャンパスに置くことから相模原とも俗称される。
 

概要

中島飛行機の技術者であった糸川英夫が東京帝国大学の工学教授として赴任し、1949年に第二工学部に超音速空気力学研究班(AVSA:Avionics and Supersonic Aerodynamics、俗称は糸川研究室)を立ち上げたのがはじまりである。糸川は中島飛行機時代に九七式戦闘機や一式戦闘機「隼」、二式単座戦闘機「鍾馗」の開発に携わるなど数々の功績を残していた。また初歩的ながら日本最初のジェットエンジンを開発し、帝国陸海軍共同開発の五式高速戦闘爆撃機(陸軍名「火龍」、海軍名「橘花」)のジェットエンジンにその技術が使用されている。糸川研究室は、当初ラムジェット推進を用いた超音速旅客機の設計研究などを行っていたが、1951年に固体燃料ロケットを用いた衛星打ち上げ構想を発表した。当時、糸川研究室の保有していた固体燃料ロケットは海軍の開発した「奮龍」地対空ミサイルの固体燃料ロケットエンジン(推力2.4kN)のみであり、また故障も多く衛星打ち上げに使用するには適さない設計であった。そこで糸川は衛星打ち上げに適したロケットを開発するため小型のペンシルロケットを開発して一から設計を行った。開発に当たっては古巣の帝国陸軍が全面的に協力し、ペンシルロケットの水平発射実験やエンジン燃焼試験は陸軍の所有する国分寺の銃器試射場を借り受けて行われた。同地には現在、「日本宇宙開発発祥の地」と書かれた記念碑が立っている。ペンシルロケットの実験を基に飛翔データや燃焼データを収集した糸川研究室は、その開発をより大型の垂直発射ロケットに向けることとなる。大型化したロケットの打ち上げ試験場となったのは秋田県の道川海岸である。ここには糸川研究室の分室が置かれた。当時の安全管理技術は未熟であり、打ち上げに失敗して砂浜に横たわるロケットを匍匐前進で回収することもあったという。中には安全装置の解除が行われていないままの推薬が詰まっており、近づいてその安全装置をかけるのには大きな危険が伴ったが、幸い死傷者は一人も出さなかった。1954年には推力8.2kNに達するカッパシリーズの打ち上げに成功し、その到達高度は40kmに達した。この技術は協力をした陸軍の地対空ミサイルに転用され、一五式短距離空対空誘導弾一八式中距離地対空誘導弾は糸川研究室と陸軍造兵廠の共同開発となっている。
軍との提携により、その予算を更に潤沢にした糸川研究室は更に大型化するロケットに比して狭隘になった道川海岸からの、ロケット発射場の移転を考え始める。全国18か所の候補地から最終的に選択されたのは、山間部に位置する大隅県肝付郡内之浦町であった。ここが選ばれた理由としては東方に太平洋が開かれていて打ち上げ失敗時のリカバリーがしやすいことや、ここを開発中であった固体燃料ロケット推進弾道ミサイルの発射場としても使用するため陸軍が山間部を推薦したことなどが挙げられる。1961年に着工された新発射場は、1963年5月に竣工して内之浦宇宙空間観測所と名付けられた。その後、ここを拠点に新型の大型ロケットラムダシリーズの発射実験を繰り返した。1964年にはその事業の公共性から糸川研究室は東京帝大を離れて内閣府直属の研究組織(外局)宇宙科学研究所(ISAS)となり研究費は内閣府予算から支出されることとなった。1968年には低軌道に26kgの投入能力を持つ4段式のL-4Sロケットによって人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功し、固体燃料ロケットによる打ち上げとしては世界初の衛星打ち上げとなった。その後はラムダシリーズの後継で、3〜4段式でありヴァン・アレン帯への観測衛星投入を目標とするミューシリーズの開発が進められ、現在もΜ-3Cロケットのエンジン燃焼実験が行われている。
元が大学の研究機関であることから諸外国の宇宙開発機関よりも軍事色が薄く、軍事転用はされるものの宇宙研としては衛星打ち上げや観測などに使用することを前提として設計している。諸外国の衛星打ち上げ用ロケットが軍事用のミサイルに端を発し、そこから派生していることを考えると面白い対比である。
 

研究内容

以下には政府官報により公示されている研究内容のみを記載する。
  • 固体燃料ロケットの開発、および打ち上げ
    • 低軌道に衛星投入能力を持つ固体燃料ロケットの開発
    • 首振り式ノズルによる軌道制御方式の開発と実践研究
    • サイド・スラスタ式軌道制御方式の開発と実践研究
    • コンポジット系推薬の配合適量の研究
    • 軌道制御に必要なコンピュータ・プログラムの開発
  • ロケットにより打ち上げる衛星の開発、および運用
    • 低軌道用観測衛星の開発
    • 低軌道用軍事偵察衛星の開発
    • 静止軌道用観測衛星の開発
    • ヴァン・アレン帯観測用衛星の開発
    • 惑星間探査衛星、及び惑星間航行に適するエンジンの開発
  • 固体燃料ロケットの軍事転用に関する技術研究
    • 対空・対艦ミサイルの誘導方式の開発
    • 小型赤外線送受信装置及びテレメータ・システムの開発
 

保有施設

相模原キャンパス

帝国陸軍の相模原駐屯地に併設された、主に人工衛星の開発や各種理論研究、衛星の運用を行う施設である。最寄りは国鉄横浜線の淵野辺駅。小規模ながらロケットエンジンの燃焼試験場も設けられている。もともとは東京帝国大学の演習林であり、陸軍がここを宇宙開発の拠点にするにあたって用地を買収した。一般の国民が自由に立ち入れる宇宙研相模原展示室が併設されており、ここにはL-4Sロケットや人工衛星「おおすみ」の実物大モックアップが展示されている。国家直轄の研究機関でありながらその気風は極めて自由なものであり、日本国内にとどまらず各国の技術者が訪れて共同研究を行う場でもある。このような特性から、帝国大学の工学部大学院が実習教育の場としても利用している。隣接する相模原駐屯地には帝都の防空を担う独立高射砲兵第2大隊が展開しており、五式十五糎高射砲?と運用のためのレーダー、固定式の中長距離地対空誘導弾などが配備されている。

道川海岸多目的試験場

かつてはベビーロケットからカッパロケットまで、日本宇宙開発の黎明期に発射場として使用された施設である。現在は敷地入り口に「日本ロケット発祥記念之碑」が立てられ、その敷地はロケットエンジンの燃焼試験や各種ミサイルの発射実験に利用されている。その敷地内は要塞地帯法に定められた立入禁止区域であり、一般人は立入や写真撮影が禁止されている。各種要塞地帯の例に漏れず、近隣を走行する国鉄羽越本線の岩城港〜道川駅間では日本海側の鎧戸が下ろされる。また、国道7号線のこの区間も日本海側には高さ3mの防壁が設けられ、視認は不可能となっている。このように厳重な警備が行われていることから、中では新型の地対空・地対艦・弾道ミサイルの実験が行われているとみられている。

内之浦宇宙空間観測所

1963年に開設した、2番目のロケット打ち上げ施設。日本の固体燃料ロケット打ち上げを一手に担う施設である。施設内には整備塔1棟とそれに付随する発射台、耐火仕様の地下整備塔兼発射台(ミサイルサイロ)1棟、ロケット打ち上げの管制を行う打上第一管制所、そして衛星の発信するテレメトリ(電気信号)を受信するための34メートル径パラボラアンテナ、テレメトリ送信用の11メートル径アンテナ、7メートル径ロケット追尾用アンテナの設置されたレーダーテレメータ・センターが設置されている。通常のロケット発射時は地上整備塔からランチャーをレールを用いて移動し、ランチャーを整備塔から7メートル離した状態でランチャーを太平洋側に31度傾けて発射されるという傾斜発射方式を採用している。これは万一ロケットの発射に失敗した場合、ロケットを弾道軌道を描いて太平洋に着弾させることで施設や近隣の村落への被害を局限する為である。ミサイルサイロは整備塔に別のロケットが入っている場合の予備発射台や、戦時に軍用の弾道弾を発射するために用いられる。地下にはこの軍用弾道弾に用いるための核弾頭が保管されているとされるが、詳細は非公開となっている。
 

運用ロケット

ペンシルロケット

1951年から53年にかけて、ロケット運用の基礎的な研究を行う為に150機程度が製造された。大半は国分寺の射撃試験場で発射され、二段式に改造されたものが数機道川海岸で日本海に向けた発射実験を行った。愛称は「タイニー・ランス」。あまりにも小さかったためペイロードを搭載する余裕はなく、純粋に飛行特性や燃焼データの把握に利用された。推薬には陸軍の無誘導ロケット弾に使用されていたダブルベース式火薬が使用され、点火には黒色火薬が用いられた。機体は当時、陸海軍の主力航空機で幅広く採用されていたチ-201と呼ばれる規格のジュラルミンを用いて製造された。製造元は富士精密工業。
  • ペンシル230型…全長230mm、重量0.202kg、外径18mm。29機が製造され、全機が国分寺の射撃試験場で水平発射実験に供用された。
  • ペンシル300型…全長300mm、重量0.251kg、外径18mm。57機が製造され、全機が国分寺の射撃試験場で水平発射実験に供用された。
  • ペンシル460型(二段式ペンシル)…全長460mm、重量0.367kg、外径18mm。67機が製造され、うち61機が国分寺の射撃試験場で水平発射実験に、6機が道川海岸で斜め発射実験に供用された。

ベビーロケット

1953年から54年にかけて、ペンシルロケットの構造をそのままに大型化したロケットとして開発され、13機が製造された。ベビーS、ベビーT、ベビーRの3型式が存在するがペイロードが異なるのみで基礎設計は共通で、全長1340mm、重量10kg、外径80mmである。愛称は「ベビー・ランス」。前級に引き続きダブルベース式火薬が推薬として用いられ、15mm径から65mm径に大型化した燃焼室によって推力は520kgfを発揮した。製造元は同じく富士精密工業。
  • ベビーS型…Sは「Simple」の頭文字。ペイロードを一切搭載せず、発煙筒を搭載してその軌道を追跡することにより飛行特性を把握した。1953年に4機が道川海岸で打ち上げられた。
  • ベビーT型…Tは「Telemeter」(テレメータ)の頭文字。ペイロードとして弾頭にテレメータを搭載し、はじめて小型アンテナによってテレメトリを受信して解析を行った。1953年に5機が打ち上げられた。
  • ベビーR型…Rは「Rockoon」(ロックーン)の頭文字とされる。気球からの空中発射を行ってより高い高度に到達することを目的としたロックーン発射(RocketとBaloonを繋げた造語)の準備として打ち上げられたが、本級自体は地上発射型である。観測装置を搭載して上空で切り離し、落下傘によってこれを回収する。1953年から54年にかけて4機が打ち上げられた。

カッパロケット

1954年から開発・運用する、大気観測及びエンジン実験のために使用するロケット。もともとは1957年から58年の国際地球観測年のために制作されたものである。本級がはじめて、糸川の開発したロケットが軍事転用された例となった。Κ-1からΚ-10までの型式が存在し、その打ち上げによるデータは日本の宇宙開発に大きく貢献した。Κ-5からは従来のダブルベース式推薬に代わってコンポジット系の推薬が採用されたことも特筆に値する。製造元は富士精密工業及び日産コンツェルン傘下の日産自動車宇宙航空事業部。
  • Κ-1…Κ-128Jと呼ばれるロケットモータを使用した単段式ロケット。観測用ロケットとしては1955年に7機が打ち上げられ、到達高度5kmを記録している。空対空ミサイルとして軍事転用されたものは一五式と名付けられ、陸海軍航空隊で運用された。
  • Κ-2…カッパシリーズの2段式ロケットの試験のため、二段目にΚ-128Jのダミーを搭載したものである。1956年に1機がΚ-3の研究の為打ち上げられた。
  • Κ-3…Κ-2のダミーエンジンを本物に換装したもの。1956年に3機が打ち上げられ、到達高度は22kmを記録した。
  • Κ-4…Κ-330Bという大型ロケットモータを使用し、高度50kmへの到達を企図した。しかし、重心のずれなどによってその半分以下にしか到達できず、糸川はこの打ち上げによってダブルベース式推薬によるこれ以上の大型化を断念したとされる。1956年に2機が打ち上げられた。
  • Κ-5…初めてコンポジット系推薬を使用したロケット。コンポジット系推薬の性能を確認するためのものであったため、到達高度は30卍度と控えめである。1957年に3機が打ち上げられた。
  • Κ-6…国際地球観測年に参加する為、ポリサルファイドを使用したコンポジット系推薬を全面的に採用して高度50kmへの到達を達成した。高層物理観測を行う為の観測装置が搭載されている。1957年に4機が打ち上げられ、国際的な大気研究に大きく貢献した。
  • Κ-7…直径420mmのΚ-420型エンジンを搭載した単段式のロケット。それ自体はΚ-8の一段目の実験のため開発されたものであったが、陸軍によって地対空ミサイルに改造されて運用された。観測用ロケットとしては1機のみが1958年に打ち上げられている。
  • Κ-8…大気観測のための主力二段式大型ロケットとして開発され、はじめて高度200kmに到達した。その観測内容は大気構造、電離層、輻射線、粒子線など多岐にわたり、その優秀さから1958年から1968年にかけて30機が打ち上げられた。
  • Κ-9…Κ-8にΚ-6の二段目を追加し、日本初の三段式ロケットとなった。1965年までに24機が打ち上げられている。このうち1962年の打ち上げは工事中の内之浦で行われた。スピン安定技術などの多段式ロケット制御に必須の技術開発に大きく貢献し、この技術はのちのラムダロケット計画やミューロケット計画に活かされた。
  • Κ-10…ミューロケットに採用された球形ロケットモータの開発の為の試験用ロケットである。カッパシリーズとしては最終型式となる。現在までに18機が打ち上げられ、なおも実験中でありΚ-10-19の制作が進められている。試験用ロケットとして使用されるのと同時に観測用ロケットとしても副次的に運用され、こちらも電離層の観測など多くのデータを収集している。

ラムダロケット

1960年から始まった、内側ヴァン・アレン帯観測用のロケット計画である。最終型式であるL-4Sは「おおすみ」を低軌道に送り出し、固体燃料ロケットとして初の人工衛星打ち上げを達成した。ロケットの性能だけではなく軌道制御システムや補助ロケット(SRB、固体燃料ロケットブースター)の性能も一層強化され、世界一とも評される日本の固体燃料ロケット運用技術を確実なものにした。富士精密工業が日産自動車に買収され、日産コンツェルン傘下に入ったことから、ラムダシリーズは日産自動車との共同開発となっている。なお、本型式の「ラムダ」はギリシャ文字の「Λ」ではなくローマ文字の「L」を使用している。
  • L-2…二段式のロケットで、一段目には新たに開発されたL-735ロケットモータを使用する。このロケットモータの特徴は燃焼室が1個であるにもかかわらずノズルが4個となっていることであり、これは重量の関係であるとされている。1962年に工事中の内之浦から2機が打ち上げられ、高度は400kmに達した。
  • L-3…L-2に三段目を追加し、三段式ロケットとしたものである。当時、開発されていた各国の三段式ロケットの中では最高峰の性能を誇った。1963年から64年にかけて3機が打ち上げられ、その到達高度は1000kmに達し、いよいよペイロードを搭載しての低軌道(高度500〜2000km)投入が現実味を帯びてきた。
  • L-3H…L-3の二段目及び三段目を高性能化し、また補助ロケットブースターを搭載して更なる高度性能を求めたものである。その到達高度は2000kmに達した。三段目には従来のポリウレタン系推薬ではなく新開発のポリブタジエン系推薬が使用され、性能が向上している。
  • L-4S…L-3Hに球形ロケットモータの四段目を搭載したもの。低軌道に26kgの投入能力を持つ世界初の固体燃料衛星打ち上げ用ロケットとなった。4度打ち上げに失敗した後、1968年2月11日に行われた5度目の打ち上げで人工衛星「おおすみ」の低軌道投入に成功し、その成功に際しては昭和天皇直々に祝電が宇宙研に打たれた。

ミューロケット

1965年から始まった、外側ヴァン・アレン帯観測用のロケット計画である。外側ヴァン・アレン帯は高度10000kmに達し、ここに到達するためには相当の大出力エンジンを搭載することが求められた。最終的に初型式となったM-4Sロケットは低軌道投入能力180kgに達する大型ロケットとなり、設計としては弾道飛行による有人宇宙飛行すら可能なレベルである。
  • Μ-4S?…低軌道に180kgの衛星投入能力を有する四段式ロケット。一段目には推力1MN(メガニュートン)に達する大型のΜ-10エンジンが搭載され、1968年から現在までに3機が打ち上げられている(うち1機失敗)。その性能は陸軍の着目するところとなり、短距離弾道ミサイルとして転用された。
  • Μ-3C…Μ-4Sをコンパクト化し、低軌道に200kgを投入することを目標としている。一段目はΜ-20エンジンを搭載するものの、二段目に搭載する大出力の小型エンジンを搭載する予定であり、この開発を現在進めている。
 

打ち上げ衛星の一覧

宇宙科学研究所が今までに打ち上げた衛星は以下の通りである。
名称命名前打ち上げロケット打ち上げ年月日目的射場
おおすみL-1005L-4S-51968年2月11日打ち上げ試験(衛星軌道投入試験)内之浦宇宙空間観測所 地上射点
たんせいMS-T1M-4S-21969年2月16日工学試験衛星
しんせいMS-T2M-4S-31969年9月28日電離層観測衛星

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