歴史

草創期

神武天皇が船で東征を開始した地とされている日向国美々津が公式に「日本海軍発祥の地」として認定され、米内光政元帥の揮毫による石碑がある。直接の日本海軍の祖は水軍である。古来より四方を海に囲まれた日本では水軍が発達し、諸侯の対立と戦争ではしばしば水軍が用いられた。有名なものは日本を二分した戦いの一つとして知られる源平合戦である。最終的に決着が付き、安徳天皇が入水された壇ノ浦の戦いは900年ほど前にしては非常に大きな規模の海戦であった。その後も各地の水軍は発展を続け、戦国時代には織田信長の鉄甲船に代表されるように最盛期を迎えたが、江戸時代に入り幕府統治下で鎖国政策により衰退する。しかしその後開国により俄に外洋航行可能な戦闘艦艇を擁する近代的海軍の必要性が高まったことにより幕府海軍が設立された。幕府海軍は軍艦奉行並勝海舟の下発展を続け、大政奉還までに軍艦・輸送艦合わせて60隻程度を整備した。軍艦はイギリスやフランスなど外国からの輸入の他、日本の造船所においても建造され、日本人の旺盛な学習意欲を象徴するエピソードの一つにもなっている。
明治維新により誕生した大日本帝国は、内戦後の混乱に対して国内の治安維持と内戦介入を狙う外敵への対処のため、早急に陸海軍を整備する必要に迫られた。幕府海軍の艦艇をいくらか接収していたものの、未だその広い領海を警備するには不十分であったその海上戦力を増強し統帥するため1872年、海軍省が東京・築地に設置される。当初は公文書でも海陸軍と呼称され、海主陸従であった日本軍だが、1872年のこの陸海軍省設置とそれに続く1877年の西南戦争により当時御親兵(のちの近衛師団)と6個鎮台まで拡大していた陸軍が優位に立ち陸主海従となり、公文書での記載も陸海軍と改められた。また、それまでは政府直轄で全艦艇が管理されていたものを海軍省の下に防衛戦力の「常備艦隊」と警備戦力の「西海艦隊」に分離して管轄することとなった。1894年、日清戦争の勃発までにいわゆる「三景艦」を含む軍艦31隻と水雷艇24隻を整備した。このとき、戦時につき常備艦隊と西海艦隊が統合され、帝国海軍史上初の「連合艦隊」が設置された。日清戦争を上記戦力で戦い抜いた帝国海軍であったが、清国海軍の定遠級戦艦に真っ向からの砲戦勝負では苦戦するなど様々な課題が浮かび上がった。一方、威海衛の戦いで水雷艦艇による夜襲の成功体験を得たことで、以後大艦巨砲と同じくらい水雷戦力を重視することとなる。また苦戦した黄海海戦においても、速射砲を搭載した快速巡洋艦の活躍によって、主力艦一辺倒ではなくバランスの取れた艦隊を保有することが重要であると認識をするに至った。眠れる獅子こと大清国を撃破した日本の次の仮想敵国は、南下拡張政策を続け日本の生存を脅かすロシア帝国であった。当時世界第3位の海軍力を誇っていたロシア帝国海軍に相対するため、帝国海軍は六六艦隊計画を発動する。これは1905年までに戦艦6隻・装甲巡洋艦6隻とその補助艦を整備するものであり、予算総額は当時の価値で2億円以上に上った。これらの予算のうち7割程度は日清戦争の結果得た賠償金から支払われた。1904年の日露戦争開戦時までに六六艦隊計画はほぼ完成され、帝国海軍の艦艇総排水量トン数はロシア帝国の約51万トンに対し約26万トンとなった。

日露戦争から

1904年、日露戦争が勃発。日露戦争は瓜生外吉率いる第4戦隊による仁川港急襲と、第1〜第3駆逐隊による旅順港奇襲によって火蓋を切った。そして旅順港閉塞作戦、第二次黄海海戦、蔚山沖海戦と海戦が続き、5月27日の日本海海戦で戦争の決着をつけることとなった。かくして、日露戦争はまさに海軍の戦争であったと国民に認識されたのであった。この戦争で特筆すべき海戦は3つ起こった。旅順港閉塞作戦は、近代の沿岸要塞が海からの攻撃に対して実に有効に作用することが立証されたものとなった。聯合艦隊は幾度も旅順港に自沈艦隊を送り出し、機雷封鎖を試み、主力艦を以て要塞を破壊しようと試みたものの、結局要塞を陥落させたのは陸軍であった。次に蔚山沖海戦とその前段であるウラジオ艦隊との死闘である。ウラジオ艦隊は巡洋艦で編成された小規模な艦隊で、ウラジオストク港を母港として日本商船隊に対する通商破壊を行っていた。これに相対したのは、上村彦之丞提督率いる第二艦隊である。戦力的には勝っていたものの、その快速による神出鬼没を以て鳴るウラジオ艦隊をなかなか捕捉できず、商船常陸丸に搭乗していた近衛師団の将兵などを含む多くの犠牲を出してしまった。結果としてはウラジオ艦隊の撃滅に成功し、日本近海の制海権は守られたが、この戦闘は日本海軍に大きな影響を及ぼした。「航路帯防衛」の思想である。即ち、輸送路が含まれる一定の海域を設定し、そこに繋がる海峡を全て封鎖してしまうことで海域を聖域化して輸送路の安全を守るというものである。これは長い間、日本軍の兵站システムに大きな影響を及ぼした。最後に日本海海戦である。ロシア海軍のバルチック艦隊を完膚なきまでに叩きのめし、敵艦隊のほぼ全滅と引き換えに自艦隊の損害は僅かに波浪によって転覆した水雷艇3隻のみという大勝利を得たこの海戦は、「海戦史上稀にみる完封勝利」と評された。さて、この海戦は日本軍のみならず全世界に影響を及ぼした。同一口径の主砲を纏めて射撃指揮を行う「統制射撃」の概念や、東郷ターンと呼ばれる敵前大回頭を行って自艦隊の主砲火力を全て敵旗艦に集中させる「丁字(T字)戦術」、後の漸減邀撃戦略に繋がる「秋山の七段構え」など多く独創的な戦術が生み出され、大艦巨砲主義の扉を開いた。
1905年、ポーツマス条約が締結されて日露戦争は終結する。日本海海戦で勝利した5月27日は海軍記念日とされた。日露戦争後、日本は初の国産戦艦「薩摩」を進水させるが、直後英戦艦ドレッドノートのもたらした「ドレッドノート・ショック」により建艦計画の大幅見直しを余儀なくされた。日本はイギリスに河内型戦艦と金剛型巡洋戦艦を発注し、一旦は外注に回帰するものの、続く扶桑型戦艦は再び国産戦艦となった。扶桑は進水当時世界最大・最強の戦艦であり、以降進水する日本の戦艦はすべて竣工当時の世界最先端である。大艦巨砲主義の扉を開いた日本海軍は、また大艦巨砲主義のいちばん忠実な実行者であったのだ。1920年代から、世界に先駆けて41cm砲を開発した日本は「八八艦隊計画」を発動する。太平洋を挟んで対峙するアメリカ連邦に対抗することを目的としたこの大建艦計画によって日本は新鋭戦艦8隻、巡洋戦艦8隻をそろえることに成功したものの、アメリカの持つその建艦能力にはかなわなかった。

漸減邀撃作戦と太平洋戦争世界大戦

そこで日本海軍が考案したドクトリンは、「漸減邀撃作戦」と呼ばれるものであった。漸減邀撃作戦とは、敵軍(ここではアメリカ海軍)が本土を出撃し、日本本土に到達するまでに各種潜水艦・航空機などによって波状攻撃を仕掛け、最終的には前段夜戦・決戦・後段夜戦(追撃戦)の3段に分けて敵艦隊を殲滅するというものである。日本海海戦の成功体験に忠実に従ったこの作戦に合わせて、日本海軍のあらゆる戦力は整備された。大航続距離を持つ陸上攻撃機と大型飛行艇、小型潜水艇を搭載して切り離しが可能な巡洋潜水艦、決戦前段で魚雷飽和攻撃を行う重雷装巡洋艦…。数々のユニークな兵器が生まれ、来る決戦の為「月月火水木金金」と形容される猛訓練に精を出した。

存在しない記憶

結局1940年の東インド進駐と50年代のアメリカ崩壊によってアメリカと敵対する理由はなくなり、この作戦は実行されることはなかったものの、その戦術思想は確かに帝国海軍の中に息づいていた。1942年、世界大戦勃発。日本海軍はその誇る戦艦戦隊と、世界で初めて編成された空母機動部隊を基幹として欧州に派兵した。この空母機動部隊はもっぱら対地攻撃任務に使用され、遂に敵艦隊と干戈を交える機会はなかったものの、対地攻撃と対艦攻撃の兼ね合いに関する重要な戦訓も残している。そしてまた、世界大戦における日本軍を語る上で外せないのがドイツ帝国による二度にわたる日本侵攻作戦である。どちらも本土にいた聯合艦隊旗艦たる戦艦比叡を中心とする水上艦隊と、本土の留守師団によって撃退されたが、この時に日本がとった防衛戦略は漸減邀撃作戦のそれであった。パナマ運河を突破して日本まで来寇するドイツ艦隊にハワイ、ミッドウェー、ウェーク、父島などに展開した陸攻隊で雷撃を加え、潜水艦から発進する甲標的が待ち伏せ雷撃を加え、とどめに「比叡」を基幹とする水上艦隊が追浜や館山の戦闘機隊に援護されて艦隊決戦を挑み、巡洋艦2、駆逐艦4の損害を出しつつも敵艦隊を撃滅した。完封勝利とまでは行かずも本土にいた寄せ集めの艦隊で外征海軍相手に勝利を収めた漸減邀撃作戦は、その理論が更に実戦で補強されたことになる。また、この戦いで従来の特設監視艇を用いた警戒線が不十分な結果となったので、日本海軍はレーダーの開発を更に加速させていくこととなる。

ポスト大戦型の艦隊整備

イタリアの内海艦隊化とアメリカの崩壊によって、日本海軍は世界最強の海軍となった。刀と槍と火縄銃で武装し、船と言えば北前船しか知らなかった東洋の小国がたった80年で世界最強の国家に躍り出たのである。ディエゴガルシアの租借によってインド洋をも実質的に我が海とした日本は、内海統治と外征能力をコンパクトに併せ持った海軍を新たに整備することを決定した。「新海軍整備計画」である。空前絶後の予算がこの計画に注ぎ込まれ、大戦によって大きく発達した原子力機関や誘導弾、ソナーやレーダーなどの技術が惜しみなく用いられた。原子力艦はその寿命が異次元に長いことから、計画の完成後当分は主力艦の更新を行う必要がないとみられる。そしてまた、いくら技術が進歩しても日本海軍はやはり日本海軍であった。小型潜水艇であった「甲標的」は戦略爆撃機から投下可能な無人待ち伏せ潜水艇に姿を変え、双発ジェット機としては圧倒的な航続距離を持つ大型の陸上攻撃機には魚雷とともに大型対艦ミサイルが積まれた。日本海軍は漸減邀撃戦略をその柱として、今後も発展し、拡張を続けていくだろう。そう、祖国が矢折れ弾尽きるその時まで…。

艦隊編成表

聯合艦隊

独立旗艦戦闘群独立旗艦戦艦比叡
第十九戦隊重巡青葉衣笠
第二十戦隊軽巡夕張?名寄?
第十一駆逐隊駆逐艦吹雪?白雪?初雪?
第十二駆逐隊駆逐艦叢雲?白雲?東雲?薄雲?
聯合艦隊直属第一補給部隊第一給油群給油艦風早?速吸?韓埼?稲取?
第五給油群給油艦洲崎?豊崎?
第二補給部隊第二給油群給油艦雁来?釣掛?雲見?神須?
第六給油群給油艦神埼?聖埼?
第三補給部隊第三給油群給油艦鷹野?針尾?潮見?高浜?
第七給油群給油艦足摺?塩屋?
第四補給部隊第四給油群給油艦大須?大間?龍舞?塩瀬?
第八給油群給油艦剣埼?高崎?
第五補給部隊第一給糧群給糧艦伊良湖?久須見?
第六補給部隊第二給糧群給糧艦馬来加?芭海?
第七補給部隊第三給糧群給糧艦高磯?間宮?
第一艦隊第一機動部隊第一航空戦隊空母青龍?朱雀?、軽空母大鷹?
第601航空隊(噴戦72機、噴攻72機、乙戦24機、艦哨12機)
第二航空戦隊空母白虎?玄武?、軽空母冲鷹?
第602航空隊(噴戦72機、噴攻72機、乙戦24機、艦哨12機)
第五航空戦隊空母白鳳?神鳳?、軽空母雲鷹?
第605航空隊(噴戦48機、噴攻24機、噴偵6機、艦攻48機、乙戦24機、艦哨12機)
第一戦隊戦艦若狭?丹波?伊賀?和泉?
第三戦隊戦艦対馬?壱岐?隠岐?佐渡?
第六戦隊戦艦加賀?土佐?
第十七戦隊軽巡天塩?湧別?渚滑?釧路?
第二十一戦隊軽巡石狩?清渓?
駆逐艦秋月?照月?涼月?初月?
駆逐艦新月?若月?霜月?冬月?
第一水雷戦隊旗艦軽巡阿賀野?
駆逐艦妙風?清風?村風?里風?
駆逐艦山霧?海霧?谷霧?川霧?
駆逐艦山雨?秋雨?夏雨?早雨?
駆逐艦高潮?秋潮?春潮?若潮?
第二機動部隊第三航空戦隊空母大鳳?海鳳?、軽空母飛鷹?
第633航空隊(噴戦48機、噴攻24機、乙戦24機、艦哨12機)
第四航空戦隊空母龍鳳?雲鳳?、軽空母隼鷹?
第634航空隊(噴戦48機、噴攻24機、乙戦24機、艦哨12機)
第六航空戦隊空母龍鶴?雲鶴?、軽空母瑞鷹?
第636航空隊(艦戦72機、艦攻72機、乙戦24機、艦哨12機)
第二戦隊戦艦大和?武蔵?信濃?美濃?
第七戦隊巡戦富士?生駒?伊吹?鞍馬?
第九戦隊戦艦長門?陸奥?
第十八戦隊軽巡常呂?網走?沙流?留萌?
第二十二戦隊軽巡洛東?大同?
駆逐艦春月?宵月?夏月?満月?
駆逐艦花月?清月?大月?葉月?
第三水雷戦隊旗艦軽巡矢矧?
駆逐艦朝霜?秋霜?早霜?清霜?
駆逐艦涼波?清波?玉波?藤波?
駆逐艦秋雲?夕雲?風雲?巻雲?
駆逐艦浦風?浜風?磯風?谷風?
第三機動部隊第七航空戦隊空母雲龍?昇龍?、軽空母海鷹?
第607航空隊(艦戦48機、艦攻48機、艦偵6機、乙戦24機、艦哨12機)
第八航空戦隊空母伏龍?屠龍?、軽空母神鷹?
第608航空隊(艦戦48機、艦攻48機、艦偵6機、乙戦24機、艦哨12機)
第九航空戦隊空母瑞龍?海龍?、軽空母祥鳳?
第609航空隊(艦戦48機、艦攻48機、艦偵6機、乙戦24機、艦哨12機)
第十航空戦隊空母臥龍?蛟龍?、軽空母瑞鳳?
第610航空隊(艦戦48機、艦攻48機、艦偵6機、乙戦24機、艦哨12機)
第四戦隊戦艦越後?甲斐?相模?三河?
第五戦隊戦艦紀伊?尾張?常陸?駿河?
第八戦隊巡戦天城?赤城?愛宕?高雄?
第十五戦隊軽巡最上?三隈?鈴谷?熊野?
第二十三戦隊軽巡雲津?櫛田?
駆逐艦山月?浦月?青雲?紅雲?
駆逐艦春雲?天雲?冬雲?八重雲?
第四水雷戦隊旗艦軽巡酒匂?
駆逐艦早波?浜波?沖波?岸波?
駆逐艦長波?巻波?高波?大波?
駆逐艦舞風?野分?萩風??
駆逐艦初風?雪風?天津風?時津風?
第二艦隊第十一航空戦隊航巡蒼龍?飛龍?、軽空母翔鶴?
第651航空隊(艦戦48機、艦攻24機、艦偵12機、乙戦24機、艦哨12機)
第十二航空戦隊航巡龍驤?飛隼?、軽空母瑞鶴?
第652航空隊(艦戦48機、艦攻24機、艦偵6機、乙戦24機、艦哨12機)
第十戦隊巡戦八雲?浅間?吾妻?春日?
第十一戦隊重巡蔵王?妙義?乗鞍?那須?
第十二戦隊重巡葛城?笠置?阿蘇?石鎚?
第十三戦隊重巡摩耶?鳥海?音羽?新高?
第十六戦隊軽巡利根?筑摩?大淀?仁淀?
第二十四戦隊軽巡円山?揖保?
駆逐艦雪雲?霜風?沖津風?朝東風?
駆逐艦大風?西風?東風?南風?
第二水雷戦隊旗艦軽巡能代?
駆逐艦島風?灘風?矢風?羽風?
駆逐艦峯風?沖風?澤風?帆風?
駆逐艦秋風?夕風?野風?太刀風?
駆逐艦汐風?波風?沼風?神風?
第三艦隊第十四戦隊重巡妙高?那智?足柄?羽黒?
第五水雷戦隊旗艦軽巡高梁?
駆逐艦黒潮?親潮?早潮?夏潮?
駆逐艦陽炎?不知火???
駆逐艦朝雲?山雲?夏雲?峯雲?
第十三航空戦隊水母平戸?津軽?日進?
第653航空隊水戦48機、水爆36機、水観12機
海軍陸戦隊司令部横須賀鎮守府作戦群兵員5688名、大型飛行艇45機、中型飛行艇36機
空挺強襲第1連隊兵員1728名、大型飛行艇9機
第1大隊兵員576名、大型飛行艇3機
第2大隊兵員576名、大型飛行艇3機
第3大隊兵員576名、大型飛行艇3機
空挺強襲第2連隊兵員1728名、大型飛行艇9機
空挺強襲第3連隊兵員1728名、大型飛行艇9機
空挺戦車第1連隊九式空挺戦車36輌、十式軽装甲車18輌、兵員144名、大型飛行艇18機、中型飛行艇18機
第1中隊九式空挺戦車12輌、乗員36名、大型飛行艇6機
第2中隊九式空挺戦車12輌、乗員36名、大型飛行艇6機
第3中隊九式空挺戦車12輌、乗員36名、大型飛行艇6機
第4中隊十式軽装甲車18輌、乗員36名、中型飛行艇18機
空挺砲兵第1連隊一五式山砲36門、牽引車36輌、兵員360名、中型飛行艇18機
第1大隊一五式山砲12門、牽引車12輌、砲要員120名、中型飛行艇6機
第2大隊一五式山砲12門、牽引車12輌、砲要員120名、中型飛行艇6機
第3大隊一五式山砲12門、牽引車12輌、砲要員120名、中型飛行艇6機

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