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トルキスタン=ペルシア二重連邦(土:Türkistan ve İran İkili Federasyonu、波:فدراسیون دوگانه ترکستان و فارس/Fedrasiyon Dogane Torcestan va Fars)とは、中央アジア連邦ペルシア連邦民主共和国と軍事・財政・外交を共にする形で誕生した連合国家である。主に「二重連邦」と称される。
連合首都サマルカンド(Samarkand)
国家元首連合評議会代表 Fosfor Fıstığı(フォスフォル=フィストィグィ)
国家方針中道左派/自由主義・資本主義・国際協調
総人口約4000万(概算値)
工業力中規模
↓トルキスタン=ペルシア二重連邦の国旗(1944年4月1日以降)


担当者の国家運営ポリシー

  • 民族が分断されることなく自由を享受できるような国にする。
  • 基本世界線の勢力圏をぶっこわす!英露間の勢力境界線を帳消しにして、中央ユーラシア本来の自由さを取り戻す。
  • アラル海を守る

概要・略歴

1905年以降、日露戦争でのロシア帝国の敗北を機に、西トルキスタン地方と東トルキスタン地方で別個に起きた民族自決の理念に基づく革命運動が発生した。
両者は合流し、東西トルキスタンの統一を目指して革命を成し遂げ、1921年2月、ついに独立を果たした。
建国当初は平和主義を掲げ、民族の平和と世界平和の両立を模索していたが、1930年代になってトルコ・ペルシアの両地域において社会主義政権が成立したのを受けて方針を転換し、建国時の民族主義的革命を社会主義革命だと捉え直す形でイデオロギーをすり替えると言う荒技を成し遂げた。
これは民族主義的革命の指導者の後継者であり社会主義時代の中ア連の初代書記長でもあるアブドゥラウフ・フィトラトが過去に他国で社会主義政権下での国家運営を経験した時の知識などを生かしたものであり、この革新的な転換は中ア連の柔軟な内政運営を象徴するものであると解釈できよう。
1930年代中頃、トルコ・ペルシアとの間でバクー条約機構を立ち上げた。

1939年秋、国際情勢の複雑化などによる中ア連への大戦の影響を少しでも軽減するべく(中の人の低浮上化によるものだが)、社会主義体制を緩やかに廃止して中道民主資本主義国に戻そうという計画が承認された。「中ア連ボーナスチェスト化計画」と称し、すべての国に開かれた資源地帯をなすことを目標とするようだ。

1940年2月末、この計画は実行を開始され、また労働者中央委員会において国家方針の変更が正式に決定された。これを機に我が国は「世界の資源庫」として歩み出すこととなる。
また同時に労働者中央委員会の解散が決まり、中ア連連邦議会が復活した。上下院から成り、定員は約260人である。
この前後で次期の大統領が選出された。あらゆる方法を用いて全ての階層から指示を取り付け圧勝したその男の名はフォスフォル=フィストィグィと言う。彼は外交方針の大胆な転換を行うが、この性急な改革がのちに中ア連の首を締めることとなるのであった。

1940年3月末、大日本帝国とともに中華ソビエト共和国に宣戦を布告した。この時期から中ア連は日本への接近をさらに強めていくこととなる。
この戦争によって我が国は寧夏回族自治区の保護権を獲得した。

1940年の中ごろ、ペルシア内戦を端緒とする周辺諸国のペルシア分割が発生。中ア連政府は当初これを静観し・中立の立場をとっていたが、安全保障に関する懸念になりかねないとしてイラン方面・アフガン方面に派兵。
一時イラン北東部とアフガニスタン北半を実効支配したが、対面するインド共和国に敵対心がないことを知り撤退、最終的にイラン・アフガンのトルクメン人居住地のみを併合し、その他の地域を全てインド共和国に割譲した。割譲した領土にはタジキスタン東部のバダフシャン地方も含まれている。
その後、残りのタジク四郡を「タジク共和国」として中ア連に再編入したが、政府はこれを中ア連とは別個の国として扱う方針を打ち立て、議会でも可決された。対外的には「タジク共和国」は中ア連の一部である、としている。現世における中国と台湾との関係にも似ている。

その後1940年10月ごろに種々の協議を行い、カイバル峠とカシミール地方を囲む4カ国の包括的同盟、カイバル同盟が成立した。これを以てペルシア内戦に端を発したペルシア問題はひとまず収集がついたと言えるだろう。

そして1940年12月、我が国の情報統制部門が大戦犯行為を働くこととなった。事もあろうに我が国の外務省がオスマン民主国に対して機密情報を開示してしまったのである。オスマン民主国は抗議のためにこれを全国際社会に公開。連合諸国の安全保障を脅かすのみならず、他の仮想敵国に対しても拭いきれない禍根を残すこととなった。国内では当然不満も広がったが、民衆の間ではまだオスマン民主共和国内のトルコ人に対する同胞意識も根強く、大統領は支持率低下を免れた。つくづく幸運な男である。

1941年に始まった第一次世界大戦?には、自由主義連合?の一員として参戦。正規軍を大きく動かすことこそなかったものの、西アジア地域で抑圧されている諸民族の解放を手伝い、オスマン民主共和国と敵対した。
1944年、第一次世界大戦?が終結すると、かねてから計画されていたペルシアとの連合が推し進められ、トルキスタン=ペルシア二重連邦が成立した。中ア連もその構成国家となった。

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(ここより前は正史通り)
18世紀中ごろより、ゼンド朝がペルシャを治め周辺のデュラニ朝アフガニスタンやバルチスタンを征服し、
またアラビア海のポルトガル勢力を撃退し海上帝国化を推し進めた。
この際にインドの3港とタミル・セイロンを獲得した。
この勢力は18世紀末にカジャール朝に置き換わっても衰えることなく、1812〜1816には東インドも手中に納めた。
このころには国内の工業化も推し進め始めた。
また、    との戦争で大ロン・ロシアと協力し、中国地域にも2つの港や鉄道利権を獲得することが出来た。
東アフリカ植民地を獲得したのもこの頃だ。
さらに外洋に進出、マリアナ諸島など太平洋上にも進出した。
その勢力の大きさより、西アジアにおいてオスマンと双璧を成す存在とまでなりました。
しかし、ロシアの圧力が増してくると、ロシアによりペルシャは北方の領土を喪失した。
ただ、 年のロシア革命によりロシアは弱体化、ロシア帝国に反旗をあげた中央アジア連邦とともにロシア帝国の勢力を撃退、北部アフガンと南タジクをロシア帝国より返上した。
しかしその後、ロシア革命と連鎖する形で、敗走したボリシェヴィキとともにペルシア共産党によりペルシャ南部やアフガン地域よりペルシャ革命が勃発、
1919年にペルシア連邦民主人民共和国が発足した。
また中央アジア連邦建国時には、後方より中央アジアを支援し、代わりに南タジクを獲得した。
同じイデオロギーながらアゼルバイジャン問題で対立していたオスマン社会主義人民共和国とは、
アゼルバイジャン独立を互いが承認することで関係回復を図った。

1941年の春、共産主義体制からの転換を求め、自由主義者や帝政主義者など多数の勢力が蜂起し、ペルシア内戦が起こった。
この内戦によって多数の国家から干渉を受け、内戦終結後には領土が大きく減少し、海外領の一部も失った。
内戦後は主に中央アジア連邦インド共和国の支援によって復興が進められている。
なお、内戦終結後に国名が変更され、「ペルシア連邦民主共和国」となった。
1944年、第一次世界大戦?が終結すると、かねてから計画されていた中ア連との連合が推し進められ、トルキスタン=ペルシア二重連邦が成立した。ペルシアもその構成国家となった。

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トルキスタン=ペルシア二重連邦の歴史

1944年、第一次世界大戦?が終結すると、かねてから計画されていたペルシアとの連合が推し進められ、トルキスタン=ペルシア二重連邦が成立した。
その後しばらくしてアゼルバイジャン共和国を併合した。またナゴルノ=カラバフ地域をアルメニアに返還した。
クルド人問題にも再びメスを入れ、クルド人が優勢な地域の全てを「クルド人の人権を蔑ろにしない」という条件付きでオスマン民主共和国に譲渡した。
また近年台頭してきたボリシェヴィキを最大の脅威と捉え、北部のインフラを一時的に破壊するなど不断に戦争の準備をしている。

内政

地理

トルキスタン=ペルシア二重連邦の版図は広大である。
おおまかに、東西トルキスタン(中央アジア連邦)・イラン高原の一部及びアゼルバイジャン(ペルシア連邦民主共和国)の二つに大別できる。
なお、アルメニア人及びクルド人が優勢な地域は版図に含まれない。

行政区分

トルキスタン=ペルシア二重連邦
S.サマルカンド特別市
中央アジア連邦
A.アルマトイ特別市*1アルマトイアルマトイ(カザフスタン)
1.カザフ共和国シュムケントカザフスタン及び新疆北部
2.キルギス共和国ビシュケクキルギス
3.カラカルパク共和国ヌクスカラカルパクスタン
4.ウイグル共和国ウルムチ新疆ウイグル自治区南部
5.ウズベク共和国タシケントウズベキスタン*2
6.トルクメン共和国アシガバードトルクメニスタン及び
イラン・北アフガンの一部
ペルシア連邦民主共和国
M.マシュハド特別市マシュハドマシュハド(イラン)
7.イラン共和国テヘランイラン(シーア派ペルシア人地域)
8.アゼルバイジャン共和国バクーアゼルバイジャン及び
東西アゼルバイジャン州(イラン)
9.北アフガン=タジク共和国カブールアフガニスタン北部
及びタジキスタン
保護国
N.寧夏回族自治共和国銀川寧夏回族自治区
T.大チベット国ラサチベット高原全域*3

人口

1945年時点の推定総人口は約4000万人である。
ペルシア系言語の話者が約2300万人、テュルク(トルコ)系言語の話者が約1600万人、ロシア語の話者が約100万人と推計されている。

言語・文化

連邦共通語はトルコ語(オスマン語)及びペルシア語である。
しかし版図が広大であり地域によって差異があるため、構成国家や州ごとに公用語が制定されている。
公用語の一覧
連邦公用語
トルコ語(主に中ア連)・ペルシア語(主にペルシア)
中央アジア連邦
No.一等行政区地域公用語地域政令言語
A.アルマトイ特別市カザフ語ロシア語及び全テュルク系言語
1.カザフ共和国カザフ語ロシア語・ウイグル語
2.キルギス共和国キルギス語カザフ語
3.カラカルパク共和国カラカルパク語ウズベク語・カザフ語
4.ウイグル共和国ウイグル語カザフ語・中国語
5.ウズベク共和国ウズベク語カザフ語・トルクメン語・ペルシア語
6.トルクメン共和国トルクメン語ウズベク語・ペルシア語
ペルシア連邦民主共和国
M.マシュハド特別市ペルシア語アゼリー語及び全ペルシア系言語
7.イラン共和国ペルシア語クルド語・アゼリー語・トルクメン語・アラビア語など
8.アゼルバイジャン共和国アゼリー語ペルシア語・トルクメン語・レズギ語など
9.北アフガン=タジク共和国ペルシア語ウズベク語・トルクメン語・ハザーラ語・パシュトー語など
保護国
N.寧夏回族自治共和国中国語特になし
T.大チベット国チベット語ゾンカ語・中国語

外交

この節の加筆が望まれています。

軍事

陸海の二軍が存在する。空軍はまだ計画段階である。

陸軍

(設定未構築)

海軍

小規模ながらインド洋沿岸に海軍力を持つ。また、カスピ海貿易路の防衛のためにカスピ海沿岸に艦隊を配備する計画案が存在する。

国内外の諸問題

  • 対露関係
    • 中ア連はロシアから独立した国家なのだがロシア共和国との関係が一切設定されていない。一応同じ陣営に属しているが…。
  • カスピ海における防衛力の不足
    • 中ア連にとって最も重要ともいえるカスピ海北東油田だが、これを守る海軍力は貧弱。現在は日本との技術提携を急いでいる。
  • 中ア連・ペルシア間の格差問題
    • 中ア連主導で連合したのでペルシアの立場がやや低い。今後の経済発展に期待である。

外部リンク

管理者:ふぉらす(https://twitter.com/phosphorus2055T)

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