カリブ共和国はメキシコ、キューバ、カリブ諸島、南米北西部からなる共和国。ゴールドコースト連邦の構成国の1つ。

国旗
首都ニューメキシコシティ
国家元首レフ・トロツキー
国家方針社会主義
総人口3073万人
工業力中規模

歴史

ロシア革命

1900年初頭の頃、ロシアでは社会主義思想が広まり、皇帝の専制政治への不満が増していった。
西ヨーロッパから資本を導入し、シベリア鉄道の建設を開始するなどの工業化もおし進められた。農奴解放後、農村共同体を離れた農民たちは、工業部門などへと流れ労働者となったが、皇帝専制のもとで、労働者の権利は認められなかった。1905年、皇帝に生活改善を訴える労働者デモに軍隊が発砲する事件がおきた(血の日曜日事件)。こうして、民衆の中の皇帝崇拝は失われた。
この事件をきっかけに、労働者の運動が活発になっていった。
皇帝ニコライ二世は憲法の発布と議会の開設を約束したが、事態が収束すると皇帝専制が復活し、約束は守られることはなかった。

日露戦争

メキシコ革命

メキシコでは1877年以来、ポルフィオ・ディオスが大統領として居座り続けていた。ポルフィオ・ディオスは1860年代フランスと戦い、それを撃退した英雄の一人であった。しかし、大統領となってからは反対派への弾圧を繰り返し、無原則な外資導入を行い、国内の主要産業を外国資本に売り渡す計画を続けていた。
外資導入によって、鉄道敷設などが行われ、産業の振興と経済が発展しているようにみえていたが、その反面で貧富の差が極端に拡大した。
1907年、米国で恐慌が発生し、メキシコもその影響が及び始めた。発展していたようにみえたメキシコ経済はすぐに揺らぎ、多くの農民労働者が職を失い、鉱山労働者を中心に労働争議が頻発し始めていた。
この頃、反乱軍が結成され、米国との国境にあった重要拠点シウダー・フアレスを反乱軍が占領するとディオスたちの側近は反乱軍との講和を求めたため、ディオスは身の危険を感じフランスへ亡命した。

カリブ統一戦争と連邦加盟

1911年5月にマデーロが大統領となったが、ウエルタ将軍がクーデターをおこし、マデーロ大統領を暗殺すると内戦が激化した。
ウエルタ将軍が軍事政権を敷くと農民・労働者が反乱軍を組織しメキシコ北部を制圧、ここにメキシコ南北戦争が始まった(1911-1912)。トロツキーらはメキシコ南北戦争勃発とともに自ら赤軍を率いてメキシコへ赴いた。

同じくして、キューバでは反アメリカ軍、労働者軍、政府軍の三陣営が衝突、カリブ各地で社会主義革命がおこっていた。
メキシコの反乱軍は12年に、カリブ各地の社会主義者とつながり、カリブ共和国を結成(1914年)。カリブ統一戦争中に指導者カランサが命を落とし、トロツキーが連合の指導を取ることになる。
カリブ諸国でカリブ共和国軍が勝利して行き、残すはキューバのみとなった。
キューバでの戦闘は泥沼化していたが、カリブ共和国軍がグアンタナモを占領すると政府軍は崩壊。1915年、カリブは統一された。
統一されたカリブ諸国はそれぞれの平等と産業の社会主義的発展を目指した。

ロシア革命の失敗とトロツキー政治

カリブを統一させ、社会主義を浸透させた後に、トロツキーはロシアへ戻ろうとするがロシア革命が失敗し、レーニンは処刑されたことをロシアからの亡命者から聞かされる。トロツキーはロシアに戻ることを断念。メキシコで書記長をつとめることにした。トロツキー政権になってから国民の生活水準は上がり、労働環境は改善され、カリブ全体が明るくなっていった。
カリブの夜明けはこれからである。

また、南部にある大コロンビア国との摩擦を避けるために大コロンビア国と共にゴールドコースト連邦に加盟した(1915年)。

内政

ロシア革命が失敗し、革命家たちがカリブ共和国へ亡命してきた。
カリブ共和国には、メキシコ系、ロシア系をはじめとするカリブ諸国の様々な民族がいる。

軍隊

NKVD

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