アメリカ合衆国(英:United States of America)は、北米大陸に位置する共和制国家。
首都ワシントンD.C.
国家元首セオドア・ルーズヴェルト大統領
国家方針共和制・議会制民主主義
総人口3,400万人
工業力大規模

歴史

植民地以前

北アメリカ大陸に最初に住んだ人々はアジア系のモンゴロイドである。彼らは、およそ3万年前から1万年前にかけて、凍結したベーリング海などを渡り、シベリアからアラスカを経由して広大な南北アメリカ大陸各地に分散していった。

植民地時代

北アメリカ大陸の東側には、17世紀のはじめからイギリス人が移り住んでいた。植民地の規模が大きくなるにつれて、個々の植民地には議会が生まれ、住民の自治が行われた。18世紀前半には、こうして13の州が成立していた。
北米植民地には、自営農民が多かった。北部で水産業、南部では奴隷を利用した大農場の運営がされていた。

アメリカ独立

1765年にイギリス議会が印紙法を定めていると、本国議会に発言権をもたない植民地の人々は「代表なくして課税なし」と主張して反対した。
その後、イギリス政府は東インド会社に北米植民地での茶の独占販売権を与えた。そのため、ボストンにて東インド会社の船を襲い、茶箱を海に投げ入れる事件がおこった(ボストン茶会事件)。これに対し、イギリスは港を封鎖。両国間に緊張が高まった。1774年、フィラデルフィアに植民地の代表が集まり、大陸会議が開かれた。
1781年、フランスやスペインの支援を受けた植民地軍に破れたイギリスは、北米植民地の独立を認めた。

開拓

独立後のアメリカ合衆国は、19世紀前半、フランスやスペインから領土を購入し、戦争でメキシコから領土を奪ったりして、太平洋沿岸まで領土を広げた。

南北戦争

合衆国北部では、工業が発達しており、ヨーロッパからの工業製品輸入を制限するため、保護貿易を主張、また、人道的な見地から奴隷制に反対した。一方、南部では奴隷を使った大農園が発達した。生産物はヨーロッパに輸出されたので南部の人々は自由貿易を望んだ。
南部と北部の対立はますます激しくなり、1860年にエイブラハム・リンカーンが当選すると、それを機にサウスカロライナなど7州が脱退を決め、アメリカ連合国を形成した。1861年4月、南軍は合衆国に忠誠を維持していた要塞を攻撃を開始し、南北戦争が始まった。1863年7月にゲティスバーグの戦いがはじまり戦いは終わりを告げると思われた。このゲティスバーグの戦いは南北戦争史上最大の戦いの激戦とされている。しかし、結局泥沼化してしまい、現在は休戦中である。

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