チハの架空国家Wiki - 三〇式大陸間弾道弾
三〇式大陸間弾道弾
種類地対地ミサイル
大陸間弾道ミサイル
開発者宇宙科学研究所
東京砲兵工廠
製造国🇯🇵大日本帝国
初飛行1970年
製造期間1970年 - 現在
運用期間1970年 - 現在
諸元
本体重量96,500kg
全長33.5m
直径3.26m
エンジン1段目Μ-10 固体燃料ロケットエンジン
(平均推力88.5kN)×5
固体燃料ロケットブースター
(SRB)
N⁰ 固体燃料ロケットエンジン
(平均推力10.25kN)×4
2段目Μ-10 固体燃料ロケットエンジン
(平均推力88.5kN)×2
3段目Μ-20 固体燃料ロケットエンジン
(平均推力28.7kN)×1
4段目Μ-30 固体燃料ロケットエンジン
(平均推力13.1kN)×1
ペイロード1,500kg
最大射程9,500km
誘導方式慣性航法
恒星天測航法

三〇式大陸間弾道弾は、大日本帝国連邦陸軍東京砲兵工廠と宇宙科学研究所が共同開発した大陸間弾道ミサイル。世界初の全段固体式の大陸間弾道ミサイルである。愛称は「迅龍」。発射命令から少なくとも10分以内に発射が可能であり、その即応性は世界に類を見ないものである。宇宙研側の呼称はΝ(ニュー)-4H。
 

概要

宇宙科学研究所が1965年から推進している外側ヴァン・アレン帯観測用のロケット計画、ミューシリーズ計画は最大推力100kNに達する固体燃料ロケットエンジンの開発を見込んでいた。かねてから固体式の大陸間弾道ミサイル開発を目論んでいた帝国陸軍は、このエンジンを流用して大陸間弾道ミサイルを開発する計画を立てた。宇宙研内部でも観測のみならず有人宇宙飛行を計画する動きが出ていたことから(大陸間弾道ミサイルを開発すればそれを転用することで周回軌道に有人衛星を送り込むことができる)、この計画は受け入れられ、1967年に開始された。この計画は陸軍内部ではR計画、宇宙研内部ではΚ(カッパ)、L(ラムダ)、Μ(ミュー)に続くものとしてΝ(ニュー)計画と呼称された。大陸間航行に必要なだけの推力をこれまでのように単機のエンジンで賄うことは不可能なので、宇宙研としては初の試みであるクラスター式のエンジン構成となった。1.5tの熱核弾頭を搭載して1,500kmの高空まで飛翔し、そこから弾道軌道で落下するため、四段式の構成となった。誘導方式としては既に二六式大陸間弾道弾?などで実績のあった慣性航法と恒星天測航法を併用する方式を採用し、その精度は平均誤差半径1,200mとなっている。
 

構造

1段目には宇宙研の開発したΜ-10固体燃料ロケットエンジンを5基クラスター化して搭載する。また、外周にSRB-35ロケットブースター4基を装着し、その航続距離をさらに伸ばす。1段目の燃焼時間は52秒であり、そののちに切り離される。2段目も同じくΜ-10固体燃料ロケットエンジンを搭載するが、こちらは2基搭載されている。同じく52秒燃焼した後切り離される。3段目にはΜ-4Sの2段目を搭載し、その搭載するΜ-20固体燃料ロケットエンジンの燃焼時間は56秒である。4段目には同じくΜ-4Sの3段目を搭載し、Μ-30固体燃料ロケットエンジンが42秒燃焼した後弾頭を切り離す。ここまでの到達高度が1,500kmである。ここからは弾頭が弾道軌道を描いて飛翔し、目標地点に落下する。搭載できる弾頭は1.5tの大型のもので、その出力はTNT換算で3.75Mtに達する。これは世界中のあらゆる都市を一瞬で消滅させることができる。
 

運用

内之浦宇宙空間観測所に併設された深さ40mのミサイルサイロと、ハワイ王国のマカイ・ラニ発射場の地上発射基地にそれぞれ常時1発が即応状態で待機している。この他にも射場はあるが、明らかにされているのはこの2つのみである。現在のところ、輸出はされていない。また、兵器としてではないが、前述した宇宙研のν計画の一環として低軌道への有人宇宙飛行が計画されている。