1926年、アメリカ系住民による抑圧的政治を打倒し、全人種平等の社会主義政府を建設することを目的として、リベリア社会党が結党される。闘争方針を巡って内部対立が激化し、1928年には党内左派がリベリア共産党を結成。1930年には両党とも非合法化され、地下活動に移行。1936年に共産党主導で合法政党「リベリア人民党」を結成。革命に備えた武力の準備と議会闘争を並行して行った。
1940年に起こった
第一次世界大戦?は、リベリア人民の運命を大きく変えた。リベリアの新しい庇護者として、コミンテルンを率いるカルマル連合を得たのだ。
リベリア政府は人民党を直ちに合法化し、人民党は本格的に社会主義を目指す党として「リベリア人民革命党」に改称した。
1941年、人民革命党は「民主政府宣言」を出し、ブルジョワ政党3党と連立を組む。同年8月、社会主義宣言。これにより人民革命党の一党独裁制となった。反発する内陸部の先住民やリベリア国軍は武装蜂起。人民革命党政権はコミンテルン基地へと駆け込み、全土が反乱軍の支配下に置かれた。
一方、カルマル連合は人民革命党の支援要請を受けて出動したものの対応に困り、先住民しかいなかったリベリア内陸部でミサイル実験や核実験を強行する。これには人民革命党内部の反発も大きく、人民革命党は連邦派と鎖国派に分裂する。