ハワイ王国のカメハメハ朝は1795年にカメハメハ1世によって開かれた。1810年にはハワイ諸島を統一し、ハワイ諸島での支配を固めていった。1840年、
大ロン帝国の議会を模範として議会が開かれ、同時に憲法も制定された。これによりハワイ王国は名実ともに立憲君主制の近代国家として国際社会に迎え入れられる。一般に、アジア初の近代的憲法としては大日本帝国憲法が挙げられることが多いが、アジアの定義によってはこちらが最初となる。1872年、カメハメハ5世が死去。1874年国王選挙が行われ、新たにハワイを統治する王朝としてカラカウア朝が開かれた。その後、南北戦争に敗北した
アメリカ合衆国の亡命政府の逃げ場となり、一時は王宮が占拠され王国崩壊の危機に陥ったものの、
大日本帝国の軍事介入により阻止された。この件をきっかけに、以前より親交の深かった大日本帝国との連携を更に強化。
大日本帝国海軍の助力を得て、当時
アメリカ連合国と
アメリカ民主国の利権争い、そして旧合衆国の残党で荒廃し混沌を極めていた北米大陸情勢に乗じてミッドウェー環礁、ウェーク島、ジョンストン環礁、パルミラ環礁の領有権を主張し、そのまま実効支配した。これにより、現在に至るまでのハワイ王国の版図が概ね確定した。