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内政、外交、軍備拡張、領土要求等々各国の最新状況をここに載せていってね!

*凡例
|時間軸|国名|内容|
|1939年9月1日|大ドイツ国|ドイツがポーランドに宣戦布告~~宣戦事由:ポーランドの自由都市ダンツィヒ割譲要求拒否|
|1939年9月3日|大英帝国|イギリスがドイツに宣戦布告|
|^|フランス第三共和制|フランスがドイツに宣戦布告~~陣営:連合国に加盟|
*1939年前半期
[-]できごと
|w(100):時間軸|w(175):国名|内容|
|1939年1月4日|大日本帝国|%%%''第74回帝国議会の開催''%%%~~昨年12月より開催されていた第74回帝国議会が、三ヶ日を終え再開された。再開後の主な議題は関門海峡及び間宮海峡トンネルの掘削、近隣国との提携強化、陸軍師団増設問題、海軍マル3計画の推進などである。|
|1939年1月27日|アメリカ民主国(GC)~~アメリカ連合国|%%%''南北戦争勃発''%%%~~北アメリカにおいて長らく休戦中であった南北戦争が再び始まった。|
|1939年2月15日|大日本帝国|%%%''陸軍師団増設決議''%%%~~本日、帝国議会にて「急激ナル國際情勢ヘノ對応ヲ強化スル為」陸軍の機甲師団を現行の4個師団から8個師団へと増加させること、また歩兵師団の一部を支那に出兵させ留守師団を以て新たな歩兵師団を編成することが決議された。|
|1939年2月28日|大日本帝国|%%%''弾丸列車計画推進決議''%%%~~本日、帝国議会にて、東海道・山陽本線の急速な需要増加に対応する為帝都より京都、大阪を経て下関に至る新たな標準軌の電化高速鉄道を敷設する旨が決議された。早ければ今年中にも起工される見通しである。|
|1939年3月6日|ノヴゴロド公国|%%%''陸軍編成改定会議''%%%~~本日の公国総会において「陸軍の乱雑なる編成の改定」の議題が挙がり陸軍の編成を他国と同じ師団、もしくは余るのなら連隊として編成をするとして決議された。|
[END]
*1939年後半期
[-]できごと
|w(100):1939年9月4日|w(175):オスマン社会主義人民共和国|%%%''第一回全人民代表大会開催''%%%~~オスマン社会主義人民共和国の今年の国家方針が決定|
|1939年9月229日|ゴールドコースト連邦|アメリカ民主国崩壊。連邦内でアメリカの領土分割|
|1939年10月7日|オスマン社会主義人民共和国|オーストリア=ハンガリー二重帝国に旧オスマン帝国領の返還を要求する最後通牒。応じなければ12時間以内に宣戦布告すると通達。|
|1939年10月8日|オーストリア=ハンガリー二重帝国|旧オスマン領の返還を拒否。|
|^|オスマン社会主義人民共和国|通牒拒否を理由にオーストリア=ハンガリー二重帝国に宣戦布告。[[第三次バルカン戦争]]の開始|
|^|大中央帝政連合|同盟を根拠に、オーストリア=ハンガリー帝国側として第三次バルカン戦争への参戦を表明。|
|^|フランス連邦|^|
|^|インド共和国|^|
|1939年10月18日|オスマン社会主義人民共和国|ヨシフスターリン爆殺事件が発生|
|1939年11月25日|ノヴゴロド公国~~大日本帝国|%%%''日矗防共協定締結''%%%~~日本とノヴゴロド間での防共への意思の共通から反共協定が締結された。両国はこれまでも武器のレンドリースを行うなど親密な関係であり、今後の協調が期待される。|
|1939年11月24日|オスマン民主主義共和国|オスマン社会主義人民共和国崩壊|
[END]
*1940年前半期
[-]できごと
|w(100):時間軸|w(175):国名|内容|
|1940年1月1日|オスマン民主主義共和国|オスマン株大暴落|
|1940年1月10日|スペイン共和国|ゴールドコースト連邦から離脱|
|1940年1月21日|オスマン民主主義共和国|%%%''第二回全国民代表大会''%%%~~オスマン民主主義共和国の方針が決定|
|1940年2月1日|オスマン民主主義共和国|保守派がメッカでクーデター|
|1940年2月29日|中央アジア連邦|労働者中央委員会において国家方針の変更を正式に決定、民主化|
|1940年3月3日|ゴールドコースト連邦|第12回大陸会議が開かれた。カリブ共和国をエゾ公国に併合し、国名を[[神聖エゾ帝國]]とす。|
|1940年3月20日|神聖エゾ帝國|中米(キューバ)で共産クーデターが発生したため鎮圧。|
|1940年3月27日|大日本帝国|%%%''中華ソビエト共和国に対する要求''%%%~~大日本帝国は本日、「支那地域の安定の為」中華ソビエト共和国に対し甘粛、陝西両省の中華民国に対する返還と寧夏回族の居住区の独立を求めた。|
|1940年3月28日|大日本帝国|%%%''ペルシア領東インドへの進駐決定''%%%~~大日本帝国外務省は、ペルシアにて勃発した内戦に伴う混乱を予期し、江戸時代から続く日本町(日本租界)も多数あり邦人が多く居住するペルシア領東インドへの進駐を、邦人保護を理由に大日本帝国陸軍に求めた。この要求は本日付で帝国議会において賛成多数で可決され、既に宇品より輸送船が出発している。昨日の中華ソビエト共和国に対する要求に続く今回の決議は、膨張的であるとして一部臣民からの否定的な声を多数浴びているが、諸外国は概ね正当性のあるものとして受け止めているようである。|
|1940年3月29日|オスマン民主主義共和国|オスマンでオスマン風邪の感染者が1900人を超えたため国家非常事態宣言を発令|
|1940年4月12日|スペイン共和国|テキサス共和国に侵攻。テキサス共和国と同盟関係にあった神聖エゾ帝國がスペインに宣戦布告。|
|1940年4月13日|テキサス共和国|スペイン軍にダラスを占領される。|
|1940年4月20日|スペイン共和国|スペイン領ペルシアでイラン=イラク国が独立を宣言。独立戦争が始まる。スペインは反乱軍を鎮圧する為、軍を送った。神聖エゾ帝國は独立を支持し、義勇軍を送る。|
|1940年4月24日|神聖エゾ帝國|澳門の戦い。神聖エゾ帝國、澳門を占領。|
|1940年4月28日|スペイン共和国|長引く戦争や不安から革命が勃発。スペイン内戦へと突入する。国内は、スペイン人民軍と共和国軍、政府軍に別れている。|
|1940年5月1日|スペイン共和国|次第にスペインが戦況不利になってゆき戦争終結。スペインはテキサス、神聖エゾ帝國に賠償金を払うとともに澳門、アメリカ植民地、タスマニアを手放した。(神聖エゾ帝國とテキサス共和国で分割)|
|1940年5月3日|フランス連邦|フランス商人がバルト商人の貿易用の草(意味深)を焼き払う。バルト商人は114514ポンドの賠償金を求めたが、バルト政府は商人に810円の賠償金で済ませるよう通達した。|
|1940年5月6日|スペイン帝国|中央帝政の助けもあり政府軍が勝利。スペイン内戦終結。共産主義者をオスマン方面に島流し()。|
|1940年5月8日|フランス連邦|フランス連邦軍が突如オスマンから来た留学生を拘束。オスマン政府に対して身代金50兆ドルを請求した。|
|1940年5月12日|フランス連邦|フランス内戦勃発|
|1940年5月19日|ノヴゴロド公国~~オスマン民主主義共和国|%%%''軍事同盟締結''%%%~~オスマンからの提案によりノヴゴロドはオスマンから7師団の貸し出しを決定し締結をした。|
|1940年5月21日|ノヴゴロド公国|%%%''陸軍増強会議''%%%~~本日の公国総会において「陸軍の増強」の議題が挙がり陸軍の数を対カルマルにおいて十分な数とするため決議された。|
|1940年5月28日|大中央帝政連合|大中央帝政連合は新皇帝 ルイ・ボナパルトを迎え 国名を神聖ゲルマン・フランス帝国に変更新たな時代の幕開けだ。欧州の力として行くだろう。|
|1940年5月28日|オスマン民主国|アドルフ・ヒトラー率いる国粋派が政府へ宣戦し、%%%''第三次オスマン内戦''%%%~~が勃発|
|1940年5月29日|カルマル連合|第二次カルマル革命以来初となる第一回人民議会が即日閉会。トロツキー率いるロシア・ソビエト連邦社会主義共和国亡命政府の承認、ノヴゴロド公国との不可侵条約締結などが決定された。|
|1940年6月1日|カルマル連合~~ノヴゴロド公国|%%%''不可侵条約締結''%%%~~カルマルからの提案により、ノヴゴロド公国はカレリア地域割譲の対価として、%%%''ノヴゴロド・カルマル不可侵条約''%%%~~の締結と、カルマルがノヴゴロドの軍事通行権を持つことを承認した。|
|1940年6月12日|フランス連邦|ボルドー条約締結、サハラ砂漠、バスク地方はスペインに割譲され、フランス東部は大中央帝政連合に割譲された|
|1940年6月15日|カルマル連合~~神聖ゲルマニア・フランク帝国(旧大中央帝政連合)|%%%''ワルシャワ条約''%%%~~締結。神聖ゲルマニアからの提案により、相互友好条約がワルシャワにて締結された。この条約で両国は共同して[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国]]の亡命政府を承認し、相互不可侵・独立保障・軍事通行権を承認しあった。また、ゲルマニア共産党(GKP)と共産主義者3万5000人をカルマル連合が受け入れた。|
|1940年6月16日|カルマル連合|ゲルマニア共産党の亡命受け入れに伴い、統一派コミューン(EK)、カルマル社会民主労働党(SDLPK)、遊牧民自治コミューン(NAK)、ゲルマニア共産党(GKP)がカルマル人民戦線を結成。|
[END]
*1940年後半期
[-]できごと
|w(100):時間軸|w(175):国名|内容|
|1940年7月1日|[[カルマル連合]]~~[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国]]~~[[リベリア人民共和国]]~~[[オスマン社会主義人民共和国]]|新陣営「[[コミンテルン]]」が成立。全世界の左翼政党が加盟できる国際組織としての役割も担う。|
|1940年7月20日|スペイン|スペインの侵略に耐え兼ねた北アフリカがチュニジア・ローマ帝国として独立を宣言。ポルトガルも同時に独立を宣言した。スペイン政府はこれを押さえるため軍隊を動かそうとしたがマドリッドでコミューンが発生。これにより第三次スペイン内戦が幕を開けた。|
|1940年7月29日|スペイン|ポルトガル、チュニジア・ローマ帝国連合はコミューンとの統一戦線に合意。|
|1940年8月5日|スペイン|スペイン政府は劣勢になったため一時停戦を要求。ポルトガル、チュニジア・ローマ帝国はこれを承認。内戦一時終結。|
|1940年8月1日|[[コミンテルン]]~~大帝国同盟|新陣営[[パシャン条約機構]]の設立。コミンテルンと大帝国連盟の陣営統合による。コミンテルンは全世界の左翼政党が加盟する国際組織としてのみ存続。|
|1940年8月6日|オスマン民主国|スエズ運河の拡張工事を開始|
|1940年8月7日|フランス連邦|王政が打倒され、新たにド・ゴール大元帥率いる共和政フランスが建国される。|
|1940年8月27日|カルマル連合~~ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国|首都マルメで反軍クーデター発生。レフ・トロツキーが⛏で暗殺される。ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の事実上の解体。|
|1940年9月1日|オスマン民主国|オスマンは以下の国家への石油、金、鉄の輸出を禁止した大日本帝国、ハワイ王国、インド共和国、ロシア共和国、フランス連邦、中ア連、ノヴゴロド、ペルシア、中華民国政府が対象|
|^|オスマン民主国|^|フランス、ノヴゴロドのスエズ運河通行権を剥奪|
[END]
*1941年前半期
[-]できごと
|w(100):時間軸|w(175):国名|内容|
|1941年1月1日|オスマン民主国|長距離弾道ミサイルの実験に成功|
|1941年2月1日|リベリア人民共和国|軍事クーデター。国軍が軍事政権樹立派としてリベリア社会主義共和国成立を宣言。人民革命党書記長が殺害されて内戦が勃発。カルマル連合が人民共和国側で参戦。|
|1941年2月7日|カルマル連合~~リベリア人民共和国|カルマル連合が短距離弾道ミサイルの開発に成功し、リベリア社会主義共和国首都を目標地点としたミサイル発射実験を敢行。実験は成功し、短距離弾道ミサイルはカルマル連合の兵力の一部となった。|
|1941年2月25日|カルマル連合|グスタフ・エミール・カールセン大統領が暗殺される。積極攻勢派軍部の暴走によるもので、NVPにより軍部粛清が行われた。後任の大統領には文民統制・武装中立・平和主義を掲げるマルグレーテ・フォン・オルデンブルグ大統領が就任。オルデンブルグ同志はカルマル初の女性大統領かつ、社会主義政権下では初の旧王家出身者(カールセン大統領は準貴族家出身)。|
|1941年3月1日|オスマン民主国|原爆の実験に成功|
|1941年3月24日|ノヴゴロド公国|議会の強行採決に反発したジャイエント伯の反乱、%%%''ピャリツァ戦争''%%%~~が発生した。|
|1941年3月25日|オスマン民国|気化爆弾をテッサロニキに投下|
|1941年3月25日|ノヴゴロド公国|強行採決という愚を行ったアバーエフ公を公から降ろす議決に置いて可決、アバーエフ公は退任した。同時に混乱を抑える為に現在の伯、議員による伯議員同盟の成立を宣言した。|
|1941年3月26日|ノヴゴロド公国|議会の停止を宣言。|
|1941年3月27日|ノヴゴロド公国|陸軍総司令(陸軍尚書)の退任決議において可決。尚書は退任された。|
|1941年3月28日|ノヴゴロド公国|1部の伯によるルートによりジャイエント伯に罪を問わない事を条件に帰属をするよう通達。|
|1941年4月8日|ノヴゴロド公国|ジャイエント伯は帰属を了承。これにより%%%''ピャリツァ戦争''%%%~~の幕は閉じた。|
|1941年4月9日|神聖エゾ帝國|原爆実験成功|
|1941年4月16日|カルタゴ帝国|第26回帝国議会が行われる|
|1941年5月26日|アメリカ連邦|原爆実験成功|
[END]
*1942~1944年
この頃[[第一次世界大戦]]が起きるが、情報がまとまっていない。
*1945年
|w(100):時間軸|w(175):国名|内容|
|1945年1月1日|自由トルコ民主国|赤外線誘導型ミサイルの実験に成功。議会解散命令|
|1945年12月18日|カルマル連合~~パレスチナ人民共和国|ユーラシア=レーテ共和国連合結成|
*1948年
|w(100):時間軸|w(175):国名|内容|
|1948年5月18日|フランス|大麻の輸出防止を目的に[[バルト連合公国]]に宣戦布告。バルト連合公国は自由主義連合に加盟。|
|1948年5月20日|ロシアツァーリ帝国|清、ユ連国境で国境紛争|
|1948年8月25日|フランス|軍備拡張計画発表|
|1948年9月7日|フランス|旧ナバラにて反乱が発生|
|1948年9月8日|フランス|仏領ナイジェリアにて反乱が発生|
|1948年9月11日|カルマル連合|バルト連合に宣戦布告|
|^|自由連合加盟国|カルマルに宣戦布告|
|^|ロシアツァーリ国|カルマル連合に最後通牒、カルマル連合はそれを拒否。カルマル連合に宣戦布告|
|^|テュルク=ペルシア二重連邦|フォスフォル友好記念大橋に原爆投下|
|1948年9月15日|アメリカ連邦|ロシアツァーリ国に宣戦布告|
|^|ロシアツァーリ国|自由連合加盟国、清、ドイツに参戦要請|
|^|日本、テュルク=ペルシア二重連邦、大清、ドイツ|参戦要請を受諾、アメリカ連邦に宣戦布告|
|1948年9月15日|ユーラシア連邦|ヴェーラ・ザスーリチ連邦大統領兼メンシェヴィキ指導者(1848〜1948)が老衰により逝去。後任には、アレクサンドル2世暗殺の功績をもつヴェーラ・フィグネル社会革命党議長(1852〜)が就任。|
|1948年10月16日|ロシアツァーリ国|ロシア帝国憲法第21条により、衆議院議員を解散した、40日以内に衆議院総選挙を行う|
|1948年10月20日|ロシアツァーリ国|不朽の自由の作戦を発表しサウジアラビアに宣戦布告|
|1948年11月21日|ロシアツァーリ国|大統領制を採用|
|1948年11月30日|ロシアツァーリ国|1ヵ年計画を開始|
|1949年2月5日|イタリア、フランス、ロシア|戦争勃発|
*1950年
|1950年1月1日|ロシアツァーリ帝国|スプートニク計画を発表|
|1950年1月3日|ロシアツァーリ帝国|衆議院議員総選挙|
|1950年1月5日|ロシアツァーリ帝国|ニコライ3世が老衰により死去、次期皇帝は皇太子のウラジーミル・キリロヴィチが皇帝になる|
|1950年6月7日|イタリア|イタリア発のロケット、R-05を発射|
*1959年
|w(100):時間軸|w(175):国名|内容|
|1959年2月1日|ユーラシア連邦|連邦人民議会で社会主義市場経済導入や共和派右派のカルマル国民党合法化などを含んだ「連邦自由化法」が可決|
|1959年2月16日|[[カルマル連合]]|人民議会選挙。与党のカルマル人民戦線が圧勝したものの、与党内では穏健左派のカルマル社会民主労働党が大敗、合法化されたばかりのカルマル国民党が議会第3党にまで躍進した。|
|1959年2月17日|[[リベリア人民共和国]] [[リベリア民主人民連邦共和国]]|リベリア人民共和国がリベリア民主人民連邦共和国憲法を制定し、リベリア民主人民連邦共和国が成立。|
|1959年2月18日|[[ユーラシア連邦]]|連邦政府が[[大日本帝国連邦]]を国家承認。日本人民共和国の承認取り消し。日本人民共和国政府主席の志賀義雄が日本共産党より除名され、日本革命的共産主義者同盟を設立。赤色テロルの危険性増大。日本共産党議長に宮本顕治が就任。|
|1959年2月19日|ロシアツァーリ帝国|スプートニク計画の実行日の見直しを宣言。|
|1964年5月25日|イタリア|世界初の宇宙有人飛行を達成|
|1966年2月10日|イタリア|ディアーナ計画始動|
*1969年
|w(100):時間軸|w(175):国名|内容|
|1969年4月1日|ロシア・ツァーリ民主共和国連邦|ロシア連邦建国|
|1969年8月5日|[[バルト連合公国]]|国家元首であるアドルフ・フリードリヒ侯爵が死去、長女のヴォイツラヴァ=フェオドラが国家元首に|
*1970年
|w(100):時間軸|w(175):国名|内容|
|1970年1月2日|ユーラシア連邦|構成国のカルマル連合で統一派コミューンが与党二党を吸収してカルマル統一共産党を結成。|
|1970年1月2日|イタリア|イラク周辺海域及び空域を閉鎖|
|1970年1月3日|ユーラシア連邦|中距離弾道ミサイル(射程4500km)シリウスの発射実験に成功|
|1970年1月4日|アステーカ帝国~~日本|日栖不可侵条約締結|
|1970年1月6日|イタリア|サジタリアス号の発射にて世界初の有人宇宙飛行達成|
|1970年1月25日|バルト連合公国|国家元首のヴォイツラヴァ・フェオドラが憲法改正をし、議会制君主主義国家となると声明。建国以来初の憲法改正|
|1970年1月28日|ユーラシア連邦|構成国であるベネルクス評議会民主連邦のアムステルダム科学技術アカデミーで上級研究員を務めるエレン・ヘンドリクス氏が太陽電池量産手段を確立。|
|1970年1月29日|ユーラシア連邦|カルマル戦略ロケット軍が、連邦戦略ロケット軍の助力なく単独で、VX弾搭載短距離弾道ミサイル「プロメテウス」の発射実験に成功。|
|1970年2月1日|イタリア王国、エイルシュタット公国|イタリア王国とエイルシュタット公国間で不可侵条約を締結。栄伊不可侵条約が誕生。|
|1970年2月2日|ロシア民主共和国連邦|2月革命/モスクワの屈辱で第二連邦共和国を宣言|
|1970年2月13日|神聖エイルシュタット公国|ニュージーランド地方北島にアナハイム社、プレーンメタル社、ハイウェル重工業、の3社が合同でロケット発射場の建設を決定。|
|1970年2月16日|[[人民コミューン連邦]]|コミンテルン加盟が承認される。|
|1970年2月23日|ユーラシア連邦|国内主要幹線鉄道の電化・複線化が完了した。又スカンディナヴィア本線(1959年電化)の高速化と複々線化も完了した。|
|1970年2月24日|イタリア|オーストラリアにてSR-64の速度実験がなされ3526km/hを記録し世界記録となった。|
|1970年2月25日|ロシア民主共和国連邦|セヴェロゼメリスキー・ガスダールストヴェンニ・プリロドニ・ザカスニクで水爆の実験~~第34回ロシア連邦議会が緊急招集される|
|1970年2月25日|イタリア|イタリア国家警察軍がエイルシュタット空軍ミラシェコ・ロッツ中佐を情報漏洩の疑いで拘束|
|1970年4月1日|イタリア|ディアーナII発射|
|1970年4月25日|バルト連合公国|建国以来初めての議会選挙が開始|
|1970年5月3日|バルト連合公国|議会選挙で連合民主党が勝利|
|1970年5月30日|イタリア|ディアーナIII発射|
|1970年8月12日|ユーラシア連邦|水爆実験に成功し、既に開発していた4発を正式保有。|
|1970年8月15日|アステーカ共和国|[[コミンテルン]]に加盟。|
|1970年8月17日|イタリア|ディアーナIV発射|
|1970年8月19日|ロシア民主共和国連邦|スプートニク気鯣射|
|1970年8月19日|イタリア|サジタリウス10号を発射|
|1970年8月20日|ロシア民主共和国連邦|21人裁判|
|1970年8月23日|中央ローマ帝国|イタリア連邦王国改名式、晴天に恵まれたローマの元、ウンベルト二世により国名が中央ローマ帝国と改名された。その後ドゥーチェイタロボルバ時が演説をし「当たらなるローマ帝国の躍進がこの世界を牽引するのだ。」とし会場中にローマ式敬礼と勝利万歳の声で埋め尽くされた。その後各国の代表の短い挨拶が続き、ローマの街を新ローマ帝国軍が盛大なるパレードを催し、道路は陸軍 海兵隊の行進、空は海軍空軍機による華麗なアクロバット飛行が披露された。これは新ローマ帝国の始まりの日であった。|
|1970年8月24日|エイルシュタット公国|ニュージーランド地方北島、イーストハーバーリージョナルパークにアナハイム社、プレーンメタル社、ハイウェル重工業、の3社合同事業のアルテミス計画の為、ロケット発射施設が建設された。|
|1970年8月26日|[[リベリア民主人民連邦共和国]]|エマ・ジョンソン大統領が就任。リベリア初の女性大統領。|
|1970年8月28日|[[オーストリア=ハンガリー帝国]]|中央ローマ帝国から離脱し、再び独立した。|
|1970年8月29日|[[オーストリア=ハンガリー帝国]]|長らく開催されなかった第一回連邦選挙が行われた。|第一回選挙は連邦立憲君主党が勝利、フランツ党首が首相に就任した。|
|1970年8月30日|ローマ帝国、テュルク=ペルシア二重連邦|テュルク=ペルシア二重連邦及びローマ帝国は本日、イラクに対して完全なる閉鎖政策を実施することを発表した。以後イラクに対し陸海空あらゆる手段での人の移動及び物資の貿易、移動を禁止した。|
|1970年8月30日|ローマ帝国、テュルク=ペルシア二重連邦|また同日、ローマ帝国・二重連邦間で協議が行われ、アナトリア・東トラキア間での実効支配領域の相互承認、相互の国境画定意思の確認が行われ、さらにコンスタンティノープル(欧州側/ローマ領)及びイスタンブル(アジア側/二重連邦領)を二国間のみで経済特区に指定する「コンスタンティノープル=イスタンブル経済連携協定」が締結された。|
|1970年9月3日|神聖エイルシュタット公国|ニュージーランド地方北島のロケット発射場にて技術実証試験型ミノフスロケットを発射。試験は無事に成功し、宇宙空間にロケットが到達することができた。ロケットはある情報をフラナガン宇宙開発機関基地局に送信後、そのまま大気圏に突入し燃え尽きる予定である。|
|1970年9月4日|大ルーシ合衆国|本日、国名改定式がモスクワで行われ、戦勝1周年を祝うとともに、連邦議会で「ルーシ合衆国憲法」が正式に上下院の同意書が発行されゴルバチョフ大統領が国名を「大ルーシ合衆国」に変更、大統領演説で「神は我々ルーシに宿っている。神よ合衆国を護り給え。」とし、モスクワのクレムリン中にУра!!という軍人の声が広がった。そのあと合衆国空軍によるアクロバット飛行や、ヘリによる演出が行われた。これにより新しいロシア時代の幕上げだという大見出しで新聞の号外がだされた。|
|1970年9月8日|スペイン共和国、エイルシュタッ公国|相互不可侵条約を締結|
|1970年9月10日|ローマ|月への無人着陸機を発射|
|1970年9月20日|ユーラシア連邦|準ICBM「ウラヌス」発射実験に成功|
|1970年10月10日|ユーラシア連邦|SLBM「マクロス」発射実験に成功|
|1970年10月20日|ユーラシア連邦|ICBM「ウラヌス2(射程6000km)」発射実験に成功|
|1970年12月24日|ローマ|月への有人着陸成功|
|1970年12月27日|神聖エイルシュタット公国|ニュージーランドにあるロケット発射センターより、人工衛星搭載新型M-3ロケット、ラナ号A型を発射した。|
|1970年12月30日|神聖エイルシュタット公国|ブラジル地方第二総司令部(ジャブロー基地)より衛星搭載M-3ラナ号B型が発射された。|
|1970年12月30日|ユーラシア連邦|ICBM「ウラヌス3(射程7500km)」発射実験に成功|
|1970年12月30日|ユーラシア連邦|試験用人工衛星「ローテファーネ」打ち上げに成功|
*1971年
|w(100):時間軸|w(175):国名|内容|
|1971年1月10日|神聖エイルシュタット公国|午前10:30、第二総司令部第三管区ブラジル地方トカンティンス ポンテ・アウタ・ド・トカンティンス付近にて、核分裂を利用した兵器による軍事的地下実験を実施。これにより最大マグニチュード6.2の地震を観測した。|
|1971年1月23日|大ルーシ合衆国|単一国との不可侵条約を自動延長しないことを通達した|
|1971年2月23日|コミンテルン~~ユーラシア連邦~~アステーカ共和国~~人民コミューン連邦|ユーラシア連邦大統領のマリア・アーデルベルト・カールセン氏が「世界共和国連合」陣営創設を発表。共和制国家と共和派政党が連帯して君主制国家に対峙し、共和制国家の増加を目指すと宣言。共和制国家のイデオロギーは問わないとしている。コミンテルンは世界共和国連合陣営の社会主義部門として統合された。|
|1971年2月24日|大西洋連合国|世界共和国連合に加盟。|
|1971年3月18日|[[ユーラシア連邦]]~~[[日本民主連邦共和国]]|大連市を臨時首都とする日本民主連邦共和国が建国され、即日ユーラシア連邦に加盟する。大連市を領域とする日本民主共和国、大連市を除く遼東半島を領域とする満州民主共和国で構成される。|
|1971年4月1日|オーストリア=ハンガリー帝国|ウクライナ県を返還した|
|1971年4月5日|オーストリア=ハンガリー帝国|月面着陸に成功|
|1971年5月24日|[[日本民主連邦共和国]]|平塚らいてう連邦主席が死去。|
|1971年5月25日|日本民主連邦共和国|市川房枝氏が第二代連邦主席に選出される。|
|1971年6月10日|日本民主連邦共和国|市川房枝氏が連邦主席を退任。九津見房子氏が第三代連邦主席に選出される。|
|1971年6月15日|ユーラシア連邦|1980年までにCO2排出量を35%削減することを宣言した「脱炭素社会実現のための連邦人民宣言」を発表。|
|1971年6月26日|神聖エイルシュタト公国|第四総司令管区が海中地下小規模核実験を南太平洋にて実施した事を発表|
|1971年6月30日|ユーラシア連邦|「反共主義」を唱えるテロリストが、教化刑に処された。対象はクーク・アン・ソーコウ被告、カツラ・リカルド被告、テ・ネール被告、ハッタ・ヒール・オフミ被告。|
|1971年6月30日|ユーラシア連邦|
「反共主義」を唱えるテロリストが、教化刑に処された。対象はクーク・アン・ソーコウ被告、カツラ・リカルド被告、テ・ネール被告、ハッタ・ヒール・オフミ被告|

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