追加された行はこの色です。
削除された行はこの色です。

*概要
[[大日本帝国海軍艦艇一覧]]
*歴史
**草創期
神武天皇が船で東征を開始した地とされている日向国美々津が公式に「日本海軍発祥の地」として認定され、米内光政元帥の揮毫による石碑がある。直接の日本海軍の祖は水軍である。古来より四方を海に囲まれた日本では水軍が発達し、諸侯の対立と戦争ではしばしば水軍が用いられた。有名なものは日本を二分した戦いの一つとして知られる源平合戦である。最終的に決着が付き、安徳天皇が入水された壇ノ浦の戦いは900年ほど前にしては非常に大きな規模の海戦であった。その後も各地の水軍は発展を続け、戦国時代には織田信長の鉄甲船に代表されるように最盛期を迎えたが、江戸時代に入り幕府統治下で鎖国政策により衰退する。しかしその後開国により俄に外洋航行可能な戦闘艦艇を擁する近代的海軍の必要性が高まったことにより幕府海軍が設立された。幕府海軍は軍艦奉行並勝海舟の下発展を続け、大政奉還までに軍艦・輸送艦合わせて60隻程度を整備した。軍艦はイギリスやフランスなど外国からの輸入の他、日本の造船所においても建造され、日本人の旺盛な学習意欲を象徴するエピソードの一つにもなっている。
明治維新により誕生した大日本帝国は、内戦後の混乱に対して国内の治安維持と内戦介入を狙う外敵への対処のため、早急に陸海軍を整備する必要に迫られた。幕府海軍の艦艇をいくらか接収していたものの、未だその広い領海を警備するには不十分であったその海上戦力を増強し統帥するため1872年、海軍省が東京・築地に設置される。当初は公文書でも海陸軍と呼称され、海主陸従であった日本軍だが、1872年のこの陸海軍省設置とそれに続く1877年の西南戦争により当時御親兵(のちの近衛師団)と6個鎮台まで拡大していた陸軍が優位に立ち陸主海従となり、公文書での記載も陸海軍と改められた。また、それまでは政府直轄で全艦艇が管理されていたものを海軍省の下に防衛戦力の「常備艦隊」と警備戦力の「西海艦隊」に分離して管轄することとなった。1894年、日清戦争の勃発までにいわゆる「三景艦」を含む軍艦31隻と水雷艇24隻を整備した。このとき、戦時につき常備艦隊と西海艦隊が統合され、帝国海軍史上初の「連合艦隊」が設置された。日清戦争を上記戦力で戦い抜いた帝国海軍であったが、清国海軍の定遠級戦艦に真っ向からの砲戦勝負では苦戦するなど様々な課題が浮かび上がった。一方、威海衛の戦いで水雷艦艇による夜襲の成功体験を得たことで、以後大艦巨砲と同じくらい水雷戦力を重視することとなる。また苦戦した黄海海戦においても、速射砲を搭載した快速巡洋艦の活躍によって、主力艦一辺倒ではなくバランスの取れた艦隊を保有することが重要であると認識をするに至った。眠れる獅子こと[[大清国]]を撃破した日本の次の仮想敵国は、南下拡張政策を続け日本の生存を脅かすロシア帝国であった。当時世界第3位の海軍力を誇っていたロシア帝国海軍に相対するため、帝国海軍は六六艦隊計画を発動する。これは1905年までに戦艦6隻・装甲巡洋艦6隻とその補助艦を整備するものであり、予算総額は当時の価値で2億円以上に上った。これらの予算のうち7割程度は日清戦争の結果得た賠償金から支払われた。1904年の日露戦争開戦時までに六六艦隊計画はほぼ完成され、帝国海軍の艦艇総排水量トン数はロシア帝国の約51万トンに対し約26万トンとなった。
**日露戦争から
1904年、日露戦争が勃発。日露戦争は瓜生外吉率いる第4戦隊による仁川港急襲と、第1〜第3駆逐隊による旅順港奇襲によって火蓋を切った。そして旅順港閉塞作戦、第二次黄海海戦、蔚山沖海戦と海戦が続き、5月27日の日本海海戦で戦争の決着をつけることとなった。かくして、日露戦争はまさに海軍の戦争であったと国民に認識されたのであった。この戦争で特筆すべき海戦は3つ起こった。旅順港閉塞作戦は、近代の沿岸要塞が海からの攻撃に対して実に有効に作用することが立証されたものとなった。聯合艦隊は幾度も旅順港に自沈艦隊を送り出し、機雷封鎖を試み、主力艦を以て要塞を破壊しようと試みたものの、結局要塞を陥落させたのは陸軍であった。次に蔚山沖海戦とその前段であるウラジオ艦隊との死闘である。ウラジオ艦隊は巡洋艦で編成された小規模な艦隊で、ウラジオストク港を母港として日本商船隊に対する通商破壊を行っていた。これに相対したのは、上村彦之丞提督率いる第二艦隊である。戦力的には勝っていたものの、その快速による神出鬼没を以て鳴るウラジオ艦隊をなかなか捕捉できず、商船常陸丸に搭乗していた近衛師団の将兵などを含む多くの犠牲を出してしまった。結果としてはウラジオ艦隊の撃滅に成功し、日本近海の制海権は守られたが、この戦闘は日本海軍に大きな影響を及ぼした。「航路帯防衛」の思想である。即ち、輸送路が含まれる一定の海域を設定し、そこに繋がる海峡を全て封鎖してしまうことで海域を聖域化して輸送路の安全を守るというものである。これは長い間、日本軍の兵站システムに大きな影響を及ぼした。最後に日本海海戦である。ロシア海軍のバルチック艦隊を完膚なきまでに叩きのめし、敵艦隊のほぼ全滅と引き換えに自艦隊の損害は僅かに波浪によって転覆した水雷艇3隻のみという大勝利を得たこの海戦は、「海戦史上稀にみる完封勝利」と評された。さて、この海戦は日本軍のみならず全世界に影響を及ぼした。同一口径の主砲を纏めて射撃指揮を行う「統制射撃」の概念や、東郷ターンと呼ばれる敵前大回頭を行って自艦隊の主砲火力を全て敵旗艦に集中させる「丁字(T字)戦術」、後の漸減邀撃戦略に繋がる「秋山の七段構え」など多く独創的な戦術が生み出され、大艦巨砲主義の扉を開いた。
1905年、ポーツマス条約が締結されて日露戦争は終結する。日本海海戦で勝利した5月27日は海軍記念日とされた。日露戦争後、日本は初の国産戦艦「薩摩」を進水させるが、直後英戦艦ドレッドノートのもたらした「ドレッドノート・ショック」により建艦計画の大幅見直しを余儀なくされた。日本はイギリスに河内型戦艦と金剛型巡洋戦艦を発注し、一旦は外注に回帰するものの、続く扶桑型戦艦は再び国産戦艦となった。扶桑は進水当時世界最大・最強の戦艦であり、以降進水する日本の戦艦はすべて竣工当時の世界最先端である。大艦巨砲主義の扉を開いた日本海軍は、また大艦巨砲主義のいちばん忠実な実行者であったのだ。1920年代から、世界に先駆けて41cm砲を開発した日本は「八八艦隊計画」を発動する。太平洋を挟んで対峙する[[アメリカ連邦]]に対抗することを目的としたこの大建艦計画によって日本は新鋭戦艦8隻、巡洋戦艦8隻をそろえることに成功したものの、アメリカの持つその建艦能力にはかなわなかった。
**漸減邀撃作戦と%%太平洋戦争%%世界大戦
そこで日本海軍が考案したドクトリンは、「漸減邀撃作戦」と呼ばれるものであった。漸減邀撃作戦とは、敵軍(ここではアメリカ海軍)が本土を出撃し、日本本土に到達するまでに各種潜水艦・航空機などによって波状攻撃を仕掛け、最終的には前段夜戦・決戦・後段夜戦(追撃戦)の3段に分けて敵艦隊を殲滅するというものである。日本海海戦の成功体験に忠実に従ったこの作戦に合わせて、日本海軍のあらゆる戦力は整備された。大航続距離を持つ陸上攻撃機と大型飛行艇、小型潜水艇を搭載して切り離しが可能な巡洋潜水艦、決戦前段で魚雷飽和攻撃を行う重雷装巡洋艦…。数々のユニークな兵器が生まれ、来る決戦の為「月月火水木金金」と形容される猛訓練に精を出した。
[+]存在しない記憶
***前進前進また前進〜日本軍の快進撃
真珠湾攻撃からミッドウェー海戦までの6か月は、まさに日本軍の連戦連勝であった。よくアメリカにとっては想定内の損害であったと言われるがそうでもない。アメリカはそもそも戦争準備が全くなっていなかった。軍拡に反対する議会を押し切って海軍拡張予算を成立させた、まさにその直後である。真珠湾で主力戦艦部隊を初動戦力から外され、虎の子の空母も珊瑚海で「レキシントン」撃沈「ヨークタウン」大破、伊26潜の雷撃によって「サラトガ」大破、「レンジャー」は大西洋のドイツ海軍に釘付けで「ワスプ」は練度不足。まともに動かせる空母は「エンタープライズ」「ホーネット」の2隻のみで、攻撃機と戦闘機の性能と練度では日本側に遥かに劣っていた。この状態でアメリカが打った「乾坤一擲の大作戦」こそがMI迎撃作戦だったのである。これで勝利をしたことで、アメリカは「防勢」段階を脱して「防禦攻勢」に移行することができた。日本側の敗因はというと単純にドクトリンにない攻撃を実行したことである。漸減邀撃作戦はハワイやらミッドウェーやらまで主力艦を出張らせることを想定していない。日本主力艦の強さは水雷戦隊、潜水戦隊、航空戦隊と補助戦力あってこそ輝くものなのである。ましてや補助戦力だけを前線に出して勝てるわけがないのだ。純粋に航空戦のみを以て戦う空母機動部隊同士の戦いは、戦闘のイニシアチブを握る日本側にとっては采配ミスであったといえよう。日本海軍はミッドウェーを「決戦」とする認識に、どうやら欠けていたようである。
日本は確かにこの6か月、快進撃を重ねた。マレー電撃戦はドイツ軍より早い侵攻速度で東洋のジブラルタルを制圧し、南方資源地帯を空挺部隊と海上機動で苦も無く占領した。戦術次元でも戦略次元でも陸軍の戦いは成功である。しかし海軍はどうであろうか。真珠湾攻撃とマレー沖海戦は確かに敵の主力艦を壊滅せしめたが、同時に敵に航空攻撃が実に有効であることを自ら示してしまった。真珠湾の主力艦は前述の通りアメリカの戦争準備がなっていなかったことから、侵攻準備が整って日本侵攻を発動するまでは「遊兵」であるのだから、戦略的には実のところ潰しても潰さなくても大して変わらないのである。能ある鷹は爪を隠すというが、日本海軍上層部はこの航空攻撃の真の有用性に気づかぬままOKを出してしまったようである。自らが有用だと信じた作戦は徹底的に秘匿し、「甲標的」「第二空気」と意味があるんだかないんだか分からない秘匿名称をつける日本海軍にしては戦略次元での防諜が甘かったといえよう。%%戦術次元での防諜…?何のことですかね…%%ともかく、戦略的に日本海軍は勝つどころか負けているのである。あれほど縦横無尽に暴れまわった南雲機動部隊はドゥーリットル空襲もクェゼリン襲撃も防げなかったし、五航戦は珊瑚海の突破に失敗して地獄のオーエンスタンレー山脈突破戦の端緒を開いた。日本軍の快進撃というのは海軍だけをクローズアップすれば、意外と勝っていないのである。
***銀翼連ねて南の前線〜「ラバウル航空隊」と消耗戦の時代
1942年8月、アメリカ第1海兵師団がソロモン諸島ガダルカナル島及びツラギ島に上陸。これを以てガダルカナル島の戦いの火蓋が切られた。マクロ視点で見るとこの戦いは当然、消耗戦に対応するだけの工業力を持たない日本が断然不利である。ルンガ飛行場が敵のものである限り日本軍はただでさえ不利な長駆侵攻に加え落とせども落とせども数の減らない敵機を毎日相手にすることになる。
※個人の見解です。
***''日本「前進前進又前進」米「四段階戦略—防勢」''
真珠湾攻撃からミッドウェー海戦までの6か月は、まさに日本軍の連戦連勝であった。よくアメリカにとっては想定内の損害であったと言われるがそうでもない。アメリカはそもそも戦争準備が全くなっていなかった。軍拡に反対する議会を押し切って海軍拡張予算を成立させた、まさにその直後である。真珠湾で主力戦艦部隊を初動戦力から外され、虎の子の空母も珊瑚海で「レキシントン」撃沈「ヨークタウン」大破、伊26潜の雷撃によって「サラトガ」大破、「レンジャー」は大西洋のドイツ海軍に釘付けで「ワスプ」は練度不足。まともに動かせる空母は「エンタープライズ」「ホーネット」の2隻のみで、攻撃機と戦闘機の性能と練度では日本側に遥かに劣っていた。この状態でアメリカが打った「乾坤一擲の大作戦」
[END]
結局1940年の東インド進駐と50年代のアメリカ崩壊によってアメリカと敵対する理由はなくなり、この作戦は実行されることはなかったものの、その戦術思想は確かに帝国海軍の中に息づいていた。1942年、世界大戦勃発。日本海軍はその誇る戦艦戦隊と、世界で初めて編成された空母機動部隊を基幹として欧州に派兵した。この空母機動部隊はもっぱら対地攻撃任務に使用され、遂に敵艦隊と干戈を交える機会はなかったものの、対地攻撃と対艦攻撃の兼ね合いに関する重要な戦訓も残している。そしてまた、世界大戦における日本軍を語る上で外せないのがドイツ帝国による二度にわたる日本侵攻作戦である。どちらも本土にいた聯合艦隊旗艦たる戦艦[[比叡>比叡(戦艦)]]を中心とする水上艦隊と、本土の留守師団によって撃退されたが、この時に日本がとった防衛戦略は漸減邀撃作戦のそれであった。パナマ運河を突破して日本まで来寇するドイツ艦隊にハワイ、ミッドウェー、ウェーク、父島などに展開した陸攻隊で雷撃を加え、潜水艦から発進する甲標的が待ち伏せ雷撃を加え、とどめに「比叡」を基幹とする水上艦隊が追浜や館山の戦闘機隊に援護されて艦隊決戦を挑み、巡洋艦2、駆逐艦4の損害を出しつつも敵艦隊を撃滅した。完封勝利とまでは行かずも本土にいた寄せ集めの艦隊で外征海軍相手に勝利を収めた漸減邀撃作戦は、その理論が更に実戦で補強されたことになる。また、この戦いで従来の特設監視艇を用いた警戒線が不十分な結果となったので、日本海軍はレーダーの開発を更に加速させていくこととなる。
**ポスト大戦型の艦隊整備
イタリアの内海艦隊化とアメリカの崩壊によって、日本海軍は世界最強の海軍となった。刀と槍と火縄銃で武装し、船と言えば北前船しか知らなかった東洋の小国がたった80年で世界最強の国家に躍り出たのである。ディエゴガルシアの租借によってインド洋をも実質的に我が海とした日本は、内海統治と外征能力をコンパクトに併せ持った海軍を新たに整備することを決定した。「新海軍整備計画」である。空前絶後の予算がこの計画に注ぎ込まれ、大戦によって大きく発達した原子力機関や誘導弾、ソナーやレーダーなどの技術が惜しみなく用いられた。原子力艦はその寿命が異次元に長いことから、計画の完成後当分は主力艦の更新を行う必要がないとみられる。そしてまた、いくら技術が進歩しても日本海軍はやはり日本海軍であった。小型潜水艇であった「甲標的」は戦略爆撃機から投下可能な無人待ち伏せ潜水艇に姿を変え、双発ジェット機としては圧倒的な航続距離を持つ大型の陸上攻撃機には魚雷とともに大型対艦ミサイルが積まれた。日本海軍は漸減邀撃戦略をその柱として、今後も発展し、拡張を続けていくだろう。そう、祖国が矢折れ弾尽きるその時まで…。

*艦隊編成表
**聯合艦隊
|独立旗艦戦闘群|>|独立旗艦|>|戦艦[[比叡>比叡(戦艦)]]|
|^|>|第十九戦隊|>|重巡[[青葉>古鷹型重巡洋艦]]、[[衣笠>古鷹型重巡洋艦]]|
|^|>|第二十戦隊|>|軽巡[[夕張>夕張型軽巡洋艦]]、[[名寄>夕張型軽巡洋艦]]|
|^|>|^|第十一駆逐隊|駆逐艦[[吹雪>吹雪型駆逐艦]]、[[白雪>吹雪型駆逐艦]]、[[初雪>吹雪型駆逐艦]]|
|^|>|^|第十二駆逐隊|駆逐艦[[叢雲>吹雪型駆逐艦]]、[[白雲>吹雪型駆逐艦]]、[[東雲>吹雪型駆逐艦]]、[[薄雲>吹雪型駆逐艦]]|
|聯合艦隊直属|第一補給部隊|第一給油群|>|給油艦[[風早>風早型給油艦]]、[[速吸>風早型給油艦]]、[[韓埼>風早型給油艦]]、[[稲取>風早型給油艦]]|
|^|^|第五給油群|>|給油艦[[洲崎>洲崎型給油艦]]、[[豊崎>洲崎型給油艦]]|
|^|第二補給部隊|第二給油群|>|給油艦[[雁来>風早型給油艦]]、[[釣掛>風早型給油艦]]、[[雲見>風早型給油艦]]、[[神須>風早型給油艦]]|
|^|^|第六給油群|>|給油艦[[神埼>洲崎型給油艦]]、[[聖埼>洲崎型給油艦]]|
|^|第三補給部隊|第三給油群|>|給油艦[[鷹野>鷹野型給油艦]]、[[針尾>鷹野型給油艦]]、[[潮見>鷹野型給油艦]]、[[高浜>鷹野型給油艦]]|
|^|^|第七給油群|>|給油艦[[足摺>足摺型給油艦]]、[[塩屋>足摺型給油艦]]|
|^|第四補給部隊|第四給油群|>|給油艦[[大須>鷹野型給油艦]]、[[大間>鷹野型給油艦]]、[[龍舞>鷹野型給油艦]]、[[塩瀬>鷹野型給油艦]]|
|^|^|第八給油群|>|給油艦[[剣埼>剣埼型給油艦]]、[[高崎>剣埼型給油艦]]|
|^|第五補給部隊|第一給糧群|>|給糧艦[[伊良湖>伊良湖型給糧艦]]、[[久須見>伊良湖型給糧艦]]|
|^|第六補給部隊|第二給糧群|>|給糧艦[[馬来加>馬来加型給糧艦]]、[[芭海>馬来加型給糧艦]]|
|^|第七補給部隊|第三給糧群|>|給糧艦[[高磯>高磯型給糧艦]]、[[間宮>間宮型給糧艦]]|
|第一艦隊|第一機動部隊|第一航空戦隊|>|空母[[青龍>青龍型航空母艦]]、[[朱雀>青龍型航空母艦]]、軽空母[[大鷹>飛鷹型航空母艦]]|
|^|^|^|第601航空隊|(噴戦72機、噴攻72機、乙戦24機、艦哨12機)|
|^|^|第二航空戦隊|>|空母[[白虎>青龍型航空母艦]]、[[玄武>青龍型航空母艦]]、軽空母[[冲鷹>飛鷹型航空母艦]]|
|^|^|^|第602航空隊|(噴戦72機、噴攻72機、乙戦24機、艦哨12機)|
|^|^|第五航空戦隊|>|空母[[白鳳>白鳳型航空母艦]]、[[神鳳>白鳳型航空母艦]]、軽空母[[雲鷹>飛鷹型航空母艦]]|
|^|^|^|第605航空隊|(噴戦48機、噴攻24機、噴偵6機、艦攻48機、乙戦24機、艦哨12機)|
|^|^|第一戦隊|>|戦艦[[若狭>若狭型戦艦]]、[[丹波>若狭型戦艦]]、[[伊賀>若狭型戦艦]]、[[和泉>若狭型戦艦]]|
|^|^|第三戦隊|>|戦艦[[対馬>対馬型戦艦]]、[[壱岐>対馬型戦艦]]、[[隠岐>対馬型戦艦]]、[[佐渡>対馬型戦艦]]|
|^|^|第六戦隊|>|戦艦[[加賀>加賀型戦艦]]、[[土佐>加賀型戦艦]]|
|^|^|第十七戦隊|>|軽巡[[天塩>天塩型軽巡洋艦]]、[[湧別>天塩型軽巡洋艦]]、[[渚滑>天塩型軽巡洋艦]]、[[釧路>天塩型軽巡洋艦]]|
|^|^|第二十一戦隊|>|軽巡[[石狩>石狩型軽巡洋艦]]、[[清渓>石狩型軽巡洋艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[秋月>秋月型駆逐艦]]、[[照月>秋月型駆逐艦]]、[[涼月>秋月型駆逐艦]]、[[初月>秋月型駆逐艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[新月>秋月型駆逐艦]]、[[若月>秋月型駆逐艦]]、[[霜月>秋月型駆逐艦]]、[[冬月>秋月型駆逐艦]]|
|^|^|第一水雷戦隊|旗艦|軽巡[[阿賀野>阿賀野型軽巡洋艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[妙風>涼波型駆逐艦]]、[[清風>涼波型駆逐艦]]、[[村風>涼波型駆逐艦]]、[[里風>涼波型駆逐艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[山霧>山霧型駆逐艦]]、[[海霧>山霧型駆逐艦]]、[[谷霧>山霧型駆逐艦]]、[[川霧>山霧型駆逐艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[山雨>山霧型駆逐艦]]、[[秋雨>山霧型駆逐艦]]、[[夏雨>山霧型駆逐艦]]、[[早雨>山霧型駆逐艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[高潮>山霧型駆逐艦]]、[[秋潮>山霧型駆逐艦]]、[[春潮>山霧型駆逐艦]]、[[若潮>山霧型駆逐艦]]|
|^|第二機動部隊|第三航空戦隊|>|空母[[大鳳>大鳳型航空母艦]]、[[海鳳>大鳳型航空母艦]]、軽空母[[飛鷹>飛鷹型航空母艦]]|
|^|^|^|第633航空隊|(噴戦48機、噴攻24機、乙戦24機、艦哨12機)|
|^|^|第四航空戦隊|>|空母[[龍鳳>大鳳型航空母艦]]、[[雲鳳>大鳳型航空母艦]]、軽空母[[隼鷹>飛鷹型航空母艦]]|
|^|^|^|第634航空隊|(噴戦48機、噴攻24機、乙戦24機、艦哨12機)|
|^|^|第六航空戦隊|>|空母[[龍鶴>龍鶴型航空母艦]]、[[雲鶴>龍鶴型航空母艦]]、軽空母[[瑞鷹>飛鷹型航空母艦]]|
|^|^|^|第636航空隊|(艦戦72機、艦攻72機、乙戦24機、艦哨12機)|
|^|^|第二戦隊|>|戦艦[[大和>大和型戦艦]]、[[武蔵>大和型戦艦]]、[[信濃>大和型戦艦]]、[[美濃>大和型戦艦]]|
|^|^|第七戦隊|>|巡戦[[富士>富士型巡洋戦艦]]、[[生駒>富士型巡洋戦艦]]、[[伊吹>富士型巡洋戦艦]]、[[鞍馬>富士型巡洋戦艦]]|
|^|^|第九戦隊|>|戦艦[[長門>長門型戦艦]]、[[陸奥>長門型戦艦]]|
|^|^|第十八戦隊|>|軽巡[[常呂>天塩型軽巡洋艦]]、[[網走>天塩型軽巡洋艦]]、[[沙流>天塩型軽巡洋艦]]、[[留萌>天塩型軽巡洋艦]]|
|^|^|第二十二戦隊|>|軽巡[[洛東>石狩型軽巡洋艦]]、[[大同>石狩型軽巡洋艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[春月>秋月型駆逐艦]]、[[宵月>秋月型駆逐艦]]、[[夏月>秋月型駆逐艦]]、[[満月>秋月型駆逐艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[花月>秋月型駆逐艦]]、[[清月>秋月型駆逐艦]]、[[大月>秋月型駆逐艦]]、[[葉月>秋月型駆逐艦]]|
|^|^|第三水雷戦隊|旗艦|軽巡[[矢矧>阿賀野型軽巡洋艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[朝霜>涼波型駆逐艦]]、[[秋霜>涼波型駆逐艦]]、[[早霜>涼波型駆逐艦]]、[[清霜>涼波型駆逐艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[涼波>涼波型駆逐艦]]、[[清波>涼波型駆逐艦]]、[[玉波>涼波型駆逐艦]]、[[藤波>涼波型駆逐艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[秋雲>陽炎型駆逐艦]]、[[夕雲>陽炎型駆逐艦]]、[[風雲>陽炎型駆逐艦]]、[[巻雲>陽炎型駆逐艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[浦風>陽炎型駆逐艦]]、[[浜風>陽炎型駆逐艦]]、[[磯風>陽炎型駆逐艦]]、[[谷風>陽炎型駆逐艦]]|
|^|第三機動部隊|第七航空戦隊|>|空母[[雲龍>雲龍型航空母艦]]、[[昇龍>雲龍型航空母艦]]、軽空母[[海鷹>飛鷹型航空母艦]]|
|^|^|^|第607航空隊|(艦戦48機、艦攻48機、艦偵6機、乙戦24機、艦哨12機)|
|^|^|第八航空戦隊|>|空母[[伏龍>雲龍型航空母艦]]、[[屠龍>雲龍型航空母艦]]、軽空母[[神鷹>飛鷹型航空母艦]]|
|^|^|^|第608航空隊|(艦戦48機、艦攻48機、艦偵6機、乙戦24機、艦哨12機)|
|^|^|第九航空戦隊|>|空母[[瑞龍>雲龍型航空母艦]]、[[海龍>雲龍型航空母艦]]、軽空母[[祥鳳>瑞鳳型航空母艦]]|
|^|^|^|第609航空隊|(艦戦48機、艦攻48機、艦偵6機、乙戦24機、艦哨12機)|
|^|^|第十航空戦隊|>|空母[[臥龍>雲龍型航空母艦]]、[[蛟龍>雲龍型航空母艦]]、軽空母[[瑞鳳>瑞鳳型航空母艦]]|
|^|^|^|第610航空隊|(艦戦48機、艦攻48機、艦偵6機、乙戦24機、艦哨12機)|
|^|^|第四戦隊|>|戦艦[[越後>越後型戦艦]]、[[甲斐>越後型戦艦]]、[[相模>越後型戦艦]]、[[三河>越後型戦艦]]|
|^|^|第五戦隊|>|戦艦[[紀伊>紀伊型戦艦]]、[[尾張>紀伊型戦艦]]、[[常陸>紀伊型戦艦]]、[[駿河>紀伊型戦艦]]|
|^|^|第八戦隊|>|巡戦[[天城>天城型巡洋戦艦]]、[[赤城>天城型巡洋戦艦]]、[[愛宕>天城型巡洋戦艦]]、[[高雄>天城型巡洋戦艦]]|
|^|^|第十五戦隊|>|軽巡[[最上>最上型軽巡洋艦]]、[[三隈>最上型軽巡洋艦]]、[[鈴谷>最上型軽巡洋艦]]、[[熊野>最上型軽巡洋艦]]|
|^|^|第二十三戦隊|>|軽巡[[雲津>石狩型軽巡洋艦]]、[[櫛田>石狩型軽巡洋艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[山月>秋月型駆逐艦]]、[[浦月>秋月型駆逐艦]]、[[青雲>秋月型駆逐艦]]、[[紅雲>秋月型駆逐艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[春雲>春雲型駆逐艦]]、[[天雲>春雲型駆逐艦]]、[[冬雲>春雲型駆逐艦]]。[[八重雲>春雲型駆逐艦]]|
|^|^|第四水雷戦隊|旗艦|軽巡[[酒匂>阿賀野型軽巡洋艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[早波>涼波型駆逐艦]]、[[浜波>涼波型駆逐艦]]、[[沖波>涼波型駆逐艦]]、[[岸波>涼波型駆逐艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[長波>陽炎型駆逐艦]]、[[巻波>陽炎型駆逐艦]]、[[高波>陽炎型駆逐艦]]、[[大波>陽炎型駆逐艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[舞風>陽炎型駆逐艦]]、[[野分>陽炎型駆逐艦]]、[[萩風>陽炎型駆逐艦]]、[[嵐>陽炎型駆逐艦]]|
|^|^|^||駆逐艦[[初風>陽炎型駆逐艦]]、[[雪風>陽炎型駆逐艦]]、[[天津風>陽炎型駆逐艦]]、[[時津風>陽炎型駆逐艦]]|
|第二艦隊|>|第十一航空戦隊|>|航巡[[蒼龍>蒼龍型航空巡洋艦]]、[[飛龍>蒼龍型航空巡洋艦]]、軽空母[[翔鶴>翔鶴型航空母艦]]|
|^|>|^|第651航空隊|(艦戦48機、艦攻24機、艦偵12機、乙戦24機、艦哨12機)|
|^|>|第十二航空戦隊|>|航巡[[龍驤>龍驤型航空巡洋艦]]、[[飛隼>龍驤型航空巡洋艦]]、軽空母[[瑞鶴>翔鶴型航空母艦]]|
|^|>|^|第652航空隊|(艦戦48機、艦攻24機、艦偵6機、乙戦24機、艦哨12機)|
|^|>|第十戦隊|>|巡戦[[八雲>八雲型巡洋戦艦]]、[[浅間>八雲型巡洋戦艦]]、[[吾妻>八雲型巡洋戦艦]]、[[春日>八雲型巡洋戦艦]]|
|^|>|第十一戦隊|>|重巡[[蔵王>蔵王型重巡洋艦]]、[[妙義>蔵王型重巡洋艦]]、[[乗鞍>蔵王型重巡洋艦]]、[[那須>蔵王型重巡洋艦]]|
|^|>|第十二戦隊|>|重巡[[葛城>葛城型重巡洋艦]]、[[笠置>葛城型重巡洋艦]]、[[阿蘇>葛城型重巡洋艦]]、[[石鎚>葛城型重巡洋艦]]|
|^|>|第十三戦隊|>|重巡[[摩耶>摩耶型重巡洋艦]]、[[鳥海>摩耶型重巡洋艦]]、[[音羽>摩耶型重巡洋艦]]、[[新高>摩耶型重巡洋艦]]|
|^|>|第十六戦隊|>|軽巡[[利根>利根型軽巡洋艦]]、[[筑摩>利根型軽巡洋艦]]、[[大淀>大淀型軽巡洋艦]]、[[仁淀>大淀型軽巡洋艦]]|
|^|>|第二十四戦隊|>|軽巡[[円山>石狩型軽巡洋艦]]、[[揖保>石狩型軽巡洋艦]]|
|^|>|^||駆逐艦[[雪雲>春雲型駆逐艦]]、[[霜風>春雲型駆逐艦]]、[[沖津風>春雲型駆逐艦]]、[[朝東風>春雲型駆逐艦]]|
|^|>|^||駆逐艦[[大風>春雲型駆逐艦]]、[[西風>春雲型駆逐艦]]、[[東風>春雲型駆逐艦]]、[[南風>春雲型駆逐艦]]|
|^|>|第二水雷戦隊|旗艦|軽巡[[能代>阿賀野型軽巡洋艦]]|
|^|>|^||駆逐艦[[島風>島風型駆逐艦]]、[[灘風>島風型駆逐艦]]、[[矢風>島風型駆逐艦]]、[[羽風>島風型駆逐艦]]|
|^|>|^||駆逐艦[[峯風>島風型駆逐艦]]、[[沖風>島風型駆逐艦]]、[[澤風>島風型駆逐艦]]、[[帆風>島風型駆逐艦]]|
|^|>|^||駆逐艦[[秋風>島風型駆逐艦]]、[[夕風>島風型駆逐艦]]、[[野風>島風型駆逐艦]]、[[太刀風>島風型駆逐艦]]|
|^|>|^||駆逐艦[[汐風>島風型駆逐艦]]、[[波風>島風型駆逐艦]]、[[沼風>島風型駆逐艦]]、[[神風>島風型駆逐艦]]|
|第三艦隊|>|第十四戦隊|>|重巡[[妙高>妙高型重巡洋艦]]、[[那智>妙高型重巡洋艦]]、[[足柄>妙高型重巡洋艦]]、[[羽黒>妙高型重巡洋艦]]|
|^|>|第五水雷戦隊|旗艦|軽巡[[高梁>阿賀野型軽巡洋艦]]|
|^|>|^||駆逐艦[[黒潮>陽炎型駆逐艦]]、[[親潮>陽炎型駆逐艦]]、[[早潮>陽炎型駆逐艦]]、[[夏潮>陽炎型駆逐艦]]|
|^|>|^||駆逐艦[[陽炎>陽炎型駆逐艦]]、[[不知火>陽炎型駆逐艦]]、[[霰>海風型駆逐艦]]、[[霞>海風型駆逐艦]]|
|^|>|^||駆逐艦[[朝雲>海風型駆逐艦]]、[[山雲>海風型駆逐艦]]、[[夏雲>海風型駆逐艦]]、[[峯雲>海風型駆逐艦]]|
|^|>|第十三航空戦隊|>|水母[[平戸>平戸型水上機母艦]]、[[津軽>平戸型水上機母艦]]、[[日進>日進型水上機母艦]]|
|^|>|^|第653航空隊|水戦48機、水爆36機、水観12機|
|海軍陸戦隊司令部|横須賀鎮守府作戦群|>|>|兵員5688名、大型飛行艇45機、中型飛行艇36機|
|^|^|空挺強襲第1連隊|>|兵員1728名、大型飛行艇9機|
|^|^|^|第1大隊|兵員576名、大型飛行艇3機|
|^|^|^|第2大隊|兵員576名、大型飛行艇3機|
|^|^|^|第3大隊|兵員576名、大型飛行艇3機|
|^|^|空挺強襲第2連隊|>|兵員1728名、大型飛行艇9機|
|^|^|空挺強襲第3連隊|>|兵員1728名、大型飛行艇9機|
|^|^|空挺戦車第1連隊|>|九式空挺戦車36輌、十式軽装甲車18輌、兵員144名、大型飛行艇18機、中型飛行艇18機|
|^|^|^|第1中隊|九式空挺戦車12輌、乗員36名、大型飛行艇6機|
|^|^|^|第2中隊|九式空挺戦車12輌、乗員36名、大型飛行艇6機|
|^|^|^|第3中隊|九式空挺戦車12輌、乗員36名、大型飛行艇6機|
|^|^|^|第4中隊|十式軽装甲車18輌、乗員36名、中型飛行艇18機|
|^|^|空挺砲兵第1連隊|>|一五式山砲36門、牽引車36輌、兵員360名、中型飛行艇18機|
|^|^|^|第1大隊|一五式山砲12門、牽引車12輌、砲要員120名、中型飛行艇6機|
|^|^|^|第2大隊|一五式山砲12門、牽引車12輌、砲要員120名、中型飛行艇6機|
|^|^|^|第3大隊|一五式山砲12門、牽引車12輌、砲要員120名、中型飛行艇6機|

メンバーのみ編集できます